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人に期待しない

人に期待しない

それが一番、楽に生きれるコツだと思っている。

なんでこう動いてくれないのか、なんでわかってくれないのか、って、結局相手が自分が期待通りにいてくれること想定しているから生まれるストレスだろう。

所詮、人は人であって、自分ではない。分かり合うなんて無理なのだって思っていたほうが、楽だ。それに、人が自分の言うことを聞くと思っているのはある意味傲慢なのではないか、とも思う。

パートナーにだってそう思っている。なんで家事を自分ばっかりやっているのか、とか考えはじめると面倒で。その人はそこにいてくれるだけでいい、と思うとなんだって許せる。

ちょっと休みの日に掃除機をかけてくれただけで、ありがとうと思える。

なんて思うようにはしているけれど、そうはいかないのが世の常で。やっぱり、なんで?は?ってイライラしちゃうときもある。例えば、小さいことでも。

冷蔵庫にある麦茶がなくなったら、作るのはいつも私である、とか。そんな家事とも呼べないくらいの小さな作業でも積み重なると、あれ?って思うタイミングが来る。しょうがない。私もまだまだだなって思ったりもする。


友達との付き合い方も同じで、期待しない。

期待しないから、なんとなく最近私的な予定が少ないなってタイミングでお誘いの連絡がきたら、うきうきしちゃう。ほんの少しでも自分が嬉しい行動を相手がしてくれるとわくわくしちゃうのは、相手に求めるレベルが低い人ならではだと思う。

大学の時の先輩の言葉で今でも、覚えている言葉がある。「楽しくないって文句言う奴ほど、場を盛り上げる努力しないよね」ってやつなんだけど。まあ、これ飲み会に関してなので、なんていうかそう考える浅い言葉に聞こえるけど、他のことにも当てはまるなって思う。

例えば、仕事でも。

仕事が楽しくない、きつい、給与も低いと言い続ける人のほうが、ずっとその場にいる。文句を言いながらも自分のスキルアップをする努力や環境を変える努力をしなかったりする。逆に、仕事が楽しいといえる人は自分にとって心地よい環境を知っていて、そういう環境に身を置けるような行動をする。

恋愛でも。

出会いがない、誰も声をかけてくれないと言う人には、自分から声をかけるという発想がない。自分からは恥ずかしいからだったり緊張するからだったり断られるのが怖いからだったりと理由をつけて誘わないのに、そのリスクを負うことを相手には平気で期待する。

人に期待しないことと自己肯定感が低いことは異なるので、例えば、人が自分の思い通りにならなくてイライラはしなくても、自分の嫌がることをする人も受け入れるという意味ではない。勝手に人に期待はしないけど、それは、私は人に良い行いをしてもらうほどの人ではないという意味ではなくて。自分は自分で大事だからこそ、自分の幸せや楽しいは自分で責任をもってつくるべきってことで、他人にそれを委託しないってこと。

自分のご機嫌は自分でとれる大人になりたい。

疲れたときは自炊なんて諦めて豪華に外食しちゃったり。インセンティブが良い月には今後のモチベーションのためにいつもより高価なものを買ってみたり。好きなお酒は我慢しなかったり。どうにもやる気がないときはとことんお昼寝してみたり。永遠に動画サイトを見続けてみたり。

自分の幸せを誰かのせいにしない人でありたいな。









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