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マトリョーシカになった(比喩です)

「幼女」が、私の中心に鎮座している。ある日、突如外側に出てきて発言して以降、ずっと。

「幼女」はとても率直で、見るものや出逢うものについて、意見を言う。好き、嫌い、きれい、素敵、気持ち悪い、つまらない等等。

「幼女」の周りに、層となり重なっているのが、過去に得た知識と、喜怒哀楽。中心は常に「幼女」、一番外側は自分で認識している現在の自分。その間の層については、配置がその都度変わる。

まず、「幼女」が意志を伝える。簡潔で、原始的と言っていいものだ。

「私、これ好き。」

「これ、楽しくないよねぇ笑」

「わぁ、きれい。」

「うわ、絶対イヤ。」

外側のエレメントたちが、それをもとに、もてる社会性や知識を駆使し、アウトプットする内容を割り出す。それを、一番外側の大人の私が、発信する。

このルーティーンが生まれてからは、結果はどうあれ、不安感がなくなり、満足感すらある。かつての、身体と心が離れた感じ、心がバラバラに砕けた感じや、自分の中を空洞のように感じることがなくなった。

マトリョーシカが、ひとつに収まってる感覚、というのが一番近そうだ。

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