解離性同一性障害を、何となしに振り返る

気付けばそれが意識に上がることが殆どない日々ですが、解離性同一性障害の症状がなくなったのって、ほんの2年前なんですよね。

急に思い出したのは、ある音楽家の方の演奏を聴きに行った時。その演者の方が終演後、話の流れで『水曜日が消えた』を出した時です。
この映画のことは私が好きな方のnoteの記事で知り観ていたので、「そうそう、曜日ごとに違う人格が出てくるんですよね」なんて言ったら、そこに居た他の一人が、「えっ何?それって病気なの?」と。その演者の方が一瞬黙ったので私が「解離性のね!」と言うと、そうそうと頷いていました。

バレたらどうしようかとびくびくせずに、かつて苦しんだ症状についてニュートラルに話せる日が来るなんて、何だか感慨深いです。(もちろん、私自身がサバイバーであることをそういう場で話すような野暮なことはしませんよ。。勘の良い方なら察するかもしれませんが。)

ところで、件の映画の中で、統合する=各人格が消えてしまうみたいな表現がありましたが、私の場合は全部消えずに残りました。もちろん、それぞれの極端な個性のエレメントが他と統合することによって薄まった感じはあります。それでも、全て重なって今も全員ここに居ると感じます。

私自身、統合することがゴールではなく、してもしなくてもどちらでもいいというスタンスでしたが、トラウマケアが進むにつれ自然にひとつになりました。

治療中、解離する事は能力であり才能、できない人は死んじゃいますからね、と言われた時、正直かちんときていました。こんなに大変なのに、と。むしろ死んだ方が良かったとすら思いました。
俯瞰できるようになった今では、客観的に、脳ってすごいんだなと感心したりもしながら、過去に言われた事に頷いています。

過去に書いたnoteの記事を読みながら、次々と出てきた人格さん達について、なんだか昔の友達を思い出すようなほのぼのした気持ちになったりもしました。
(記録しておいて本当に良かったです。)

あの辛かった過去をクローズできているということなのでしょう、きっと。