人生初のカウンセラーを思い出したこと

舌を正位置にしてから、フェイスラインのもたつきや顔の左右差が、日に日に改善されてきています。気のせいかどうか、肩こりなんかも軽くなった気がします。

こういった基本の基を知らないと、あちこちで不具合が起き、症状一つ一つに対処療法で立ち向かうしかなく、労力だけが限りなく消費された末、結局立ち行かなくなる、というのは、心理でも同じことのように思います。

20年以上前、大学生だった頃のこと。
私は、鬱のような症状に悩まされていました。仮眠と希死念慮がひどくなり、急に泣き出してしまうことが増えました。
かくして、人生で初めてのカウンセリングを受けることにしたのでした。

欧州某都市で、日本人のサイコセラピストは、一人しかいませんでした。彼女は多忙とのことで、当時トレーニング中のカウンセラー(早い話、弟子)の女性を紹介されました。

初めて会ったカウンセラー見習いの方は、大柄で小太り、身体が丈夫そうで声が大きな方でした。
いい人そうだけれど、正直少し苦手なタイプでした。

初めてのカウンセリングセッションで、兄と父から執拗に受けた暴力がつらかったこと、その場面がフラッシュバックでよみがえること、鬱に悩まされていること、なんかを話しました。
「お母さんは、どういう人?」と聞くので、
「母は、優しいというか世話好きで、私に危害を加えない唯一の家族です。」と言うと、彼女は、
「えっ、ちょっと待って!あなたが殴られていた時、お母さんは、どこにいたの?!!」と食い気味に言ってきました。

私が暴行を受けていた場面の記憶が浮かび、そこには母親の姿の影、のようなものが見えました。
今では、その場面を、冷静に、そして怒りをもって思い出すことができますが、当時は、天と地がひっくり返るような、今まで立っていた足場がガラガラと崩れ落ちるような、そんな感覚でした。

母だけは私を思って愛してくれている、母はいつも被害者で、私に危害を加えることはなかった、という嘘を、無理やり信じ込むことで、そして執着することで、生き延びてこれたのです。

彼女の疑問は正しくて、というより、私以外の誰から見ても、明らかなことだったのでしょう。
私は混乱して、何も言えなくなりました。

もうその方と続けたくなくて、後日、私は、最初にコンタクトした、町でただ一人のサイコセラピストとまた連絡をとり、担当をこちらの方に変えて欲しいと伝え、その見習いの方とのセッションは、それきりとなりました。
(屈託なく矛盾に切り込んでくる彼女を、脅威に感じたのだと思います。その時はまだ、なぜ彼女に苦手意識を持ってしまうのか、理解できませんでした。)

何ヶ月かたったある日、ボーイフレンドと公園を歩いていると、可愛い犬をたくさん連れた、例の見習いカウンセラーの女性が、向かいから歩いてきました。
彼女は、相変わらずの明るい大きな声で、挨拶をしてくれました。少しの間、たわいもない挨拶の延長のような会話をし、別れました。

サイコセラピストとしては、ずいぶん率直でせっかちだなあ、と思いますが、友達としては最高な方なんじゃないか、と今では思います。
本当はわかっていたはずのつらい現実を指摘されて苦しかったですが、嘘と、嘘をベースにした執着から卒業しなければ、生き辛さはいつまで待ってもやまなかったと思います。

鬱、慢性疲労、自己肯定感の低さ、拒食。全ては同根からくる症状で、それらひとつひとつに取り組んでも、その時々で少し楽になるだけで、根本の問題を解決しなければ、何度でも戻ってきます。

家族のことで自分についていた嘘を認めたら、家族を諦めることができて、自分と繋がり始める、という流れに乗ることができました。
その道のりはとても長くて、臨床心理士の先生の力も膨大な時間も必要でしたが、一番最初のきっかけは、その見習いカウンセラーの女性と、彼女のセラピストとしての未熟さ、率直な人間性でした。

出逢いから20年以上も経て、その時は分からなくて苦手とすら思ったことで、こんなふうに感謝することが、あるんですね。


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