回復へのルーティンの中で

トラウマから解き放たれてからも、気付きが時々やってきて、気付く度に感情が出てきて少し泣く→眠る、を繰り返しながら、螺旋階段のような道を歩いています。回復なのか新たな学びなのか、その境目はかなり曖昧ですが。

家族から虐待されていた時分、母親や家族が壊れてしまわないように、誰にも言えずただ耐えていたこと、何でもないことだと周囲にも自分自身に対しても演技していたこと。
それらについて、「洗脳されていた」「弱者としての私」「愛されたくて親の顔色を伺っていた愛着障害の私」のような語り方でしたが、最近になって、そこまで被害者的な側面ばかりで語らなくても、と思うようになりました。

つまり、母親がこれ以上傷つかないようにという能動的な優しさも、少なからず有ったんじゃないかと。そしてそれは、心から来る本物の気持ちだったのではと、思い始めています。

弱者としての自分ばかりにフォーカスすることは、自分自身の価値を矮小化することに繋がるのでは、と。

大人の私は知らぬ間に、私自身の子供時代に対して、「あなたは弱いんだから」という態度をとってきたのかもしれません。それはまるで、私の母親の私に対する姿勢そのものです。

心に残る子供時代の私は、バイヤスなしでちゃんと見て欲しかったんだと思います。そう思い始めたら心の奥の方が暖かく嬉しくなって、少し泣きました。未消化だった過去の私が、もう一つクローズとなりました。