逃げグセについて

癖というものは癖というだけあって、無自覚にそれをしているのでしょう。

私自身、トラウマケアが完了してから気付いた行動の癖がいくつかあります。
その中の一つが、逃げる癖です。

思い出せる原体験のひとつは、家庭内での虐待で逃げ場のなかった時分の解離です。
もちろんそれは、生き延びる為に必要だったことなので、自責に陥る必要のないものだと思っています。

問題は、それが癖になり、大人になってからも矢面に立つことをずっと避けてきたことです。それも無自覚に。

私自身は、ずっと自分の人生を生きていると信じていましたが、実際には、そうではなかった。

理解の遅い同僚に腹を立てるとか。自分を肯定する為に他の人が必要だとか。自分の感情と違う演技をしたり。自分の目的の為に、相手に取り入ることをしたり。それら全部、形は違えど、他責なんだろうな、と思います。
あくまで私の場合ですが、過度な読書や映画鑑賞、過集中も、その中に含まれる気がしています。

私の趣味は写真ですが、写真展などの表現の場になると、肝心なところで隠れてしまっていて、他の誰にもわからない内心や心象風景に逃げていました。もちろん、自分の内側を表現するのは、芸術の一形態ですが、隠れる為にそれを利用するというのは、一見似ているように見えて、真逆のものです。

今年に入ってから、一流の写真家の方に見ていただく機会が何度かありました。私は、その方の洞察力がとても怖くて、逃げ出したくなりました。
奥深くでは、自分の表現に蔓延る欺瞞をよく知っていたからなのでしょう。

自分と向き合えるようになり、徐々に世界が怖くなくなるにつれて、自然とその癖に気付きました。これからもっと自分と向き合って自分に成っていく過程で、自然に変わっていけるのかもしれません。

苛烈な暴力のフラッシュバックが収まると、私をより蝕んでいたものが見えてきました。
肉体的な暴力よりも、自分の感情や喜びを意味がないものとされたり、他者が簡単に内心にアクセスでき、かつそこにある大切なものをいつでも壊せるという繰り返しのメッセージ、そういったいわば「教育」が、より深いダメージを与えていたのだと、今はわかります。

壊されないように本当の自分を隠す必要がないことを、引き続き実体験で学んでいかなくては。
もっと自分を生きられるように。