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ボスニアヘルツェゴビナという名前が好きだから行ってみた話

名前は聞いたことがあると思います。でも、どんな国かわかる人は少ないのではないでしょうか。私はよく行き先を名前の響きだけで選びます。メルボルンに行ったのも名前が良かったからです。

ボスニアは歴史が相当長く、行ってみたくなる様なところがたくさんありますが、サラエボが行きやすかったので行ってきました。

歴史は長いけど戦争が多く、統治国がコロコロ変わってきた国です。今はつい最近の90年代の戦争を経て落ち着いた様に見えますが、今の政府は3つに分かれていて全員の一致がないと何も動かないから、街が戦争の時のまま残っていると、教えてもらいました。

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銃で撃たれたままの建物がたくさんあります。特に外に出るだけで撃たれるというスナイパーアレーと呼ばれる通りと川を挟んで向こうが敵だったというところの住宅は穴ボコだらけでした。

私たちがピラミッドに行くためにお願いしたガイドさんは、自分が赤ん坊だった時そのスナイパーアレーに住んでいて、母親が子供の注射を受けにいけくためにそこを命がけで走って病院を行き来してくれたいう話をしてくれました。家でも頭を窓から上にあげない様に過ごさなければならなかったそうです。

本人から戦争の話を聞く機会なんて今までなかったので衝撃を受けました。彼は私よりも若いのにすごい経験をして、ガイドとしてみんなに伝えているのです。

第一次世界大戦のきっかけとなった事件が起きた橋もあります。こういうものが常に身近にあって、今ここに住んでいる人たちももちろん戦争を経験しているし、なかなか私たちには想像し難い生き方をしてきているんだろうなあと思いました。

街の建築物もそれぞれの時代のバラバラの建築様式で建てられたものが並んで立っているので街に統一感はありません。さらに冬はみんな家の暖炉でほとんどのゴミを燃やすので街中霧みたいにモクモクしているのですが、光化学スモッグの類なので私たちは口を塞がないと歩けないくらいでした。地元の人たちはそんな中タバコも吸っていました。

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⬆️これは曇り空ではなく煙です。

宗教もいろいろですが、時間になるとイスラム教の放送が街中のスピーカーから流れてきてみんな同じ方向を向いてお祈りしていました。

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⬆️カッコいい墓地です。

ボスニアコーヒーがあるのですが、トルココーヒーとほぼ同じです。近代風のカフェもあってなんならunoとかが置いてありました。コーヒーはみんなで集まって談話するためのツールみたいな南ヨーロッパの文化が私は好きです。フランスやイタリアにもコーヒーを持ち帰る習慣は何年か前まで無かったくらいです。

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⬆️カフェに何気なく飾ってあった絵です。よく見たら細かな意味がたくさん隠されてる様に見えます。店員さんに聞けば良かったと後悔しています。

ご飯はお肉中心で、パイ生地の食べ物が多く、トルコやギリシャみたいな感じです。パイ生地にナッツとかが入ってシロップで固めた極限の甘さのスイーツもあります。

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アパートを貸してくれた人が日本食を他の国で食べて大好きになったからサラエボに作ってくれるなら全面協力すると言ってくれました。もう少し空気がよかったらいいところだと思います。犯罪はほぼないそうです。

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次はピラミッドの話を書きたいと思います。

では、良い1日を。


Mia








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