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障がい者手帳を取得した私の変化と気を付けていること


障がい者手帳を取得して

私は手帳を取得した。

正直ね、まだ認められてない。心の底から理解できたわけじゃない。

悲しいけれどまだ普通をどこかで目指してしまう自分がいて無理をしようとしたいみたい。しちゃうんじゃなくてしたいんだろうね。ムキになってさ。

「本当は普通でいたい」って普通なんて無いのに思っちゃうわけだ。

でも少しずつ受け入れている。

割引なんて勇気なんて無くて使っていいのかわからなくなったりするけれど、それでも私は誰かに支えられて見守られてでないと生きられない人間なんだってちゃんとわかってきた。

びっくりしたことは周りにカミングアウトした時に同じ人がいたこと。

「支えて貰うことがね心の支えにもなるんだよ」

って言ってくれてなんかちょっと安心した。

みんな表面上はキラキラして生きているように見えているけれど、どこかで苦しみを抱えている。どんなにSNSがキラキラして見えたって過去は辛くて這い上がってきただけかもしれない。

元気な時にみんなに会えているだけかもしれない。

私もよく言われた「キラキラしてみえる」ってね。

最近はとても回復してきた

ここ数年で転院して主治医も変わって手帳も取得して、生活も大きく変わって良い環境が整ったらしい。

大きく回復した。

寝たきりだった数年間は地獄で何もできなくてトイレに行くことすら大変だったけれど、今はひとりでも外に出られるようになった。

ちょっと友達に会いに行ったり、野球を見に行ったり、キラキラした景色を自分から見に行けるようになった。

北海道にも行けた。とっても楽しかった。旅行なんていつぶりだろうって感動した。5年ぶりくらいに学生時代の友達にも会えた。

でも、私には波がある。

きっと不安定になってまた寝たきりになる時が来るのかもしれない。高校生の時から繰り返している。こんなに元気な時もあるのにこんなに起き上がれない時もある。

だから手帳を取得した。安定的に働けないし、安定して外にも出られない。

でも私なりに私の生き方はずっと模索したい。答えなんか見つからないかもしれないけれど、葛藤しながらムキにも時にはなりながら私は私でいたい。

そして、キラキラできる時だけは思いっきりキラキラした活動がしたい。

メンタルは強い

不思議なのはメンタルの根本は私は強い。

でも、不安定になると脳のドーパミンの量とか統合失調症の症状が出て誤作動?みたいになって感情のコントロールができなくなる。

無になると寝たきりが続く。

でも、本来は活発で人と話せて発達障害で不器用だけれど表面上は人一倍キラキラしてみえる人間なのかもしれない。

私は統合失調症と生きているから、ちょっとしたことで感情が難しくなってちょっとしたことで気力が急にゼロになって本来の私がいなくなる。

友達がいる理由

私は友達がいる。

この5年間はほとんど会うことができなくて、友達ゼロだったんだけれど久々に学生時代にあっていた人たちに連絡したら急に元気になって最近外に出るようになってから交友関係が戻った。

気軽に会える友達は探せばいる。

私は自分が思っているよりも人に恵まれている。

発達障害で不器用で、統合失調症で上手く話せないときがあっても自分でもどんな時も私には気を付けていることがある。

それは「ありがとう」と「ごめんなさい」は言える時にちゃんと言うということ。遅れてでも不器用でも私は感謝と謝罪はちゃんとできる人間でいたい。

それだけでね、周りに人はいてくれたりする。応援してくれる人もできる。ちょっとしたことにありがとうと言えて、ちょっとしたことでも謝れる。それだけでね人間って十分だと思う。

いつもたったちょっとが当たり前になるんじゃなくてどんな時も会ってくれるだけでありがとうなんだって思って生きてるとなんだかんだ周りに友達が増えたりした。

たったちょっとがありがとうって思えると会話もすごく変わる。人にやさしくなれる。それだけで相手に伝わる。言わなくてもありがとうが態度や言葉で伝わっちゃう。

手帳持ちになっても変えたくないとことは「ありがとう」と「ごめんね」が素直に伝えられる人間でいること。

「私なんかこんな大変な思いしているのに」とか「こんなに辛いのになんでわかってくれないの」とか人と比べて否定的になりたくない。

どんなに辛くても比べて求めちゃったら人間関係は続かないと思っている。幸せに生きている人はそれでいいのだ。そこに自分の気持ちをぶつけてしまったらただわがままな人間になってしまうと思う。

人は人、私は私。それぞれの幸せと隠れた辛さがある。

誰かと楽しく過ごしたいのなら自分が辛くたって人の幸せを願える人間でいるべきだと思う。でも余裕のない時はそんな気持ちになんてなれない。当たり前に辛い時に幸せな人なんて見れない時はある。

そんな時は離れる。絶対攻撃しないように。ぶつけないように。離れちゃえばいい。攻撃するよりは時間がかかってもまたいつか会える運命の方が大事だから。

友達に相談はしてもいい。辛さを話してもいい。でも比べないでおこう。

そして、相手の幸せを願えない時は無理に会う必要は無い。

ありがとうとごめんねが言える時だけ会って楽しむようにしているからなんだかんだ私は5年疎遠にしていても交友関係が続いているんだろうなと思う。

友達を大切にしたいから私はどんな自分でも相手の為にいろんなことが考えられる人でいたいなと思う。そして、相手のことが考えられる時にだけ思いっきり会えるようにしたいんだ。

そうはいっても完璧にできるわけじゃないけれど。

もしムキになって誰かに攻撃的な感情が出ちゃっても「羨ましくてムキになってたんだごめん」って謝れる人間でいればいい。

ちょっと言いすぎてもう人間関係辞めようと思って逃げるんじゃなくて、ちょっと言われて怖くなって逃げるんじゃなくて、そこで「ごめんとありがとう」が言えたらみんななんだかんだ続くんだ。

自分が案外人間関係もろくしていたり、強くしたりする。相手にもよるけどさ、言葉一つ、態度ひとつで不器用でも人って傍にいてくれたりするんだ。

▽大切に生きるをテーマに執筆中▽

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