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関わるとは。

人と関わるのは難しい。

人には浅く広く関わるタイプと、狭く深く関わるタイプがいると思う。

私の場合は、複数の交わりのないグループで居場所を持ちたいと思うタイプで、その交わるはずのない別々のグループが交わることが苦手だ。これは、狭く深くの関わり方を複数のグループで行っていると思う。

そして、みんなが仲の良い状態でいることを目指して行動する。もし誰かが一人をハブるようなら私はその子と一緒にいる、しかし、完全にその子の味方をする訳ではない。おそらく本心ではどちらの味方でもないのだろうと思う。

ただ自分が嫌な気持ちになりたくないだけ。誰かを無視したり分かりやすく嫌な態度を取ったりすると後の自分が後悔するだけなので、自分が後悔しないように行動している。それと共に、誰かが自分の友達を少しだけ仲間はずれにしたりすると自分がドキドキしてしまう。その子が嫌な気持ちになっていないか、居心地が悪いと感じていないか、と。

最近思うところがあり、自分が関わっていた関係から少し離れようと考えている。

ここ半年ほど、たまたま、運がよく、人が私と関わろうとしてくれる環境にいたので少し心を開いて自分からも関わるようにしてみていた。しかし、それぞれの人を観察していると良いところと悪いところが見えてきて、その人たち自体を嫌いになりそうになってしまった。

例えば、どんな人も受け入れるように振る舞っていた人が実際はある人を受け入れていなかったりなど。

少し表現するのが難しい。

もしも友達を作るのに苦戦している人が、過去に優しく接してくれて会話をしてくれた人と会った際に、勇気を出して声をかけたとする。

しかし上手く話せなくて、少し気まずい空気が流れてしまった。そして立ち話には長すぎるほどそこに佇んでしまった。

すると、その話しかけられた人達がその人が去った後に、悪口というほどではないが、自分がいなくなった後に言われてたら悲しくなるようなことを言って笑っていた。

自分は、話しかけられた人たちと一緒にいて、その話をしている時も一緒に座っていた。外交的な人も内向的な人も受け入れる人だと思っていただけにとても悲しくなってしまった。そして同時に、自分がその状況を変えられるだけの会話のスキルもないことを実感して、ただその子に自分だけは嫌な顔をせず笑顔を向ける続けることしかできなかった。

自分も頑張って話しかけに言って気まずくなってしまうことがあり、知り合い達に会えて嬉しかった感情よりも、相手に対して申し訳ない感情でいっぱいになってしまったことがある。多分自分が人と話すときに話してもらっているという立場にいるからそうなってしまうのだと思う。時には「話してもらっている」ではなく、「話したいから話している」または「話してあげてる」という立場に立つと、人との関係を構築しやすいのかもしれない。

そう分かってはいるものの、そう思うのは難しいので、自分を守るためだと思うが、誰かに会っても立ち話をしに行く勇気をなくし、ただ手を振るだけ、もしくは見えなかったふりをするようになった。でも、もし相手が自分気がついて手を振ってくれたり話してくれると嬉しくなる、こうすれば申し訳ない感情が溢れることもないし、自分が嫌な気持ちをせずに気持ちよくその瞬間を記憶することができる。

自分がそれをやって相手が嬉しくなるだけの価値が自分にはないと思ってしまう。

しかし人というのは、一度関わって一緒にいる良さを知ってしまうと一人の時間が悲しくて、寂しくて、結局関わりを求めてしまう。自分の中でやっていることが矛盾する。寂しさは、寂しくない瞬間を知ったとき、思い出したときに感じると思う。

最近は、交わるはずのなかった関係性が、知らない間に交わるようになり大きな一つの交わりになって、自分の居場所は別のグループにもあるから大丈夫だ、という安心感がいつの間にかなくなってしまい自分の不安につながってしまっているとこれを書きながら気がついた。そして、上手くやっていたはずの友達が自分をよく思っていないかもという雰囲気を感じるようになっている。実際、前より好かれていない。

来月くらいにはこことは関わりのない交流も始まる、また自分から新しい交流の場に出向くようにしようとも思う。そしてまた、深く関わることを怖がっていること、自分を曝け出すことができていないこと、また自分が話したいこと以外に周りがどう感じているか、他人からどう見えているかを意識しすぎた結果だろうと思う。

もっと気楽に、また少しくらいは悪口のような考えも口に出すと友達との仲が深まるのかとも思う。よく言われているが、共通の知り合いの悪口は仲を深めると思う。それを仲を深めるためだけにすることはできないとも思う。また自分が人を嫌っていることを表面に出すのも苦手だ、そして人が特定の人には態度を変えていたり無反応になる場面を見ると自分は苛立ちを覚えたり、その人を見下してしまう、その程度でさえも自分をコントロールできないのか、と。そう思ってしまう自分も時々嫌になる。多分この感情を持つようになったことが、前より友達に好かれていない一つの理由なのかもしれない。

多くの人はそんなこと考えていないのかもしれない。考えないようにすることも手段だが、それは一番難しい。でも、そのせいで何を友達と話していいのか分からなくなる。何にも内容のないようなバカみたいな会話をしていたい。小さい頃はそんなことがよく出来ていたのに、いつからかどうしたらいいのか分からなくなった。また、正直に自分の弱い部分を見せられるようになるのはどうしたらいいのだろうか、自分の考えを押し付けたくないし、他人の持っている考えを否定もしたくないだから表面上の関わり合いになってしまう。

前はよく、周りに合わせて親の悪口を言っていた。なぜなら、他人のせいにする代わりに親のせいにする方が上手く切り抜けられるから、そしてそのことも親が知っていたので本当に誰も傷つかない唯一の方法だった。でも、少し親の社会的地位が知り合いに知られてからは、友達に親の味方をされて、その地位を通して自分のことを見ていることがわかるとなぜか萎えてしまう。関わっているのは私で、親は関係ないのに。新しく出会う人には言わないでおこう、そして親に会わせないでおこう、そう思うようになった。

また、自分なりに困っていること悩んでいることも他の人に話すとそんなに悩むことではないと言われてしまう。少し相手に弱い部分を見せようとしても上手くいかない、ただの一言として消えていく、せっかく少し相手に自分を曝け出してもいいと思っていった一言も触れないでおこうと思われて軽く流される。本心を言おうとした時にその反応が返ってくるととてもショックで、どうしていいのかわからなくなる。

たぶん、相手はそんなこと私から別に聞きたくないのだろう。
相談なんてしたところで、相手の迷惑になるのかもしれない、ただ少し辛いなと思ったことを話したいだけなのに、話せる雰囲気を作ってくれたら嬉しいななんて思うけど、たぶんこれは私のおこがましい考えだろう。
どうやってみんなは、人に相談しているのだろう。
大抵は自分で解決できるし、問題はない。

人を信頼しようとしても、そういう場面にであうともう話せなくなる。
自分が怒っているよりも、私のためにに怒ってくれるような友達にまた会いたい。もう出来ないかもしれないけど。

困った時に頼れるのは結局自分なのかなと思う。自分を自分で満足させられて、一人でいることを楽しめるようでありたい。また、友達との関わり方はそれぞれで自分のやり方を無理に変えることもないと思う。ひとりぼっちでいることで可哀想な人だと思われたくないし、人が一人でいるのを見て可哀想とも思わない。

長々と書いているが、多分さみしいだけなんだろう。
それを言えるような人もいないだけなんだろう。
それとも何か暗くぐちゃぐちゃした感情でいっぱいになっているのか。
本当にしょうもない。

ありがとうございました。

Mia


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