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ロールパンナの思い出

アンパンマンのキャラクターで一番好きだったのは、ロールパンナだ。

ロールパンナはメロンパンナの姉という設定だ。そのくせ途中から加わったものだから、「なんでお姉ちゃんなのに妹より後に登場すんのさ」と子どもながらに思ったりもした。でも、その彼女がメインの回は鮮烈で画面に釘付けだった記憶がある。

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彼女はアンパンマンには珍しく、センシティブなキャラクターだった。赤いRでロールパンだと分かる。そのままのパンの形じゃない。包帯のようなもので頭部から、前髪と目元辺りを除いて、口元が覆われている。声の当てられるアニメキャラなのに口が見えない。何かを隠しているみたいで不思議な印象だった。

手に持ったリボンをくるくると回し、風を起こし、全般に守備とか守護とかに回りがちな女キャラとしては、攻撃力がちゃんとあった。

彼女には、出時にバイキンマンサイドの影響があり、胸に二つの赤と青のハートがついていて、正義と悪の心で揺れ動くという設定を持っていた。アンパンマンという勧善懲悪な子ども向けアニメの中に少し複雑なそんな設定も興味を強く引いた。

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かなり経った今でも忘れられないシーンがある。

強いけれど、心がダークサイドに振れたとき、力が暴走して竜巻になり、村を飲み込んでしまうシーンがあったはずだ。

ロールパンナは暴走する中でいろいろ思索する。その度にハートの色は赤に青に色を変えていく。

結局最後は、妹であり母みたいな存在のメロンパンナちゃんのために心を取り戻すみたいな感じだったと思う。

でも彼女は常にアンパンマンたちと一緒にいるわけじゃない。どこかに飛んでいってしまう。

こういう女の子がいてもいいんだと思えた。明るくてやさしい女の子だけじゃなく、少しコンプレックスを抱えたまま揺れ動く女の子がいてもいいんだ、と。

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幼い時から目が悪かった。

眼鏡が急激に普及するほんの少し前の頃で、周りの中で自分ひとりだけが眼鏡だった。みんなとは違った。眼鏡というハンディキャップがつきまとった。

自分以外が当たり前にかけなくていいのに、自分だけ素顔を隠さなければいけないみたいだった。眼鏡をかけた自分と外した自分がいる。

眼鏡をかけていなかった時に接した子は、眼鏡をかけた自分を通り過ぎていく。同じ人間として認識されない。

今は珍しくもなく、そこらじゅうにだって、きっと幼児にだって眼鏡なんてありふれている。

なのに、今も自分にはどこか世界と境界を引かれたような経験が付きまとう。どこか外側の自分になりすましているような、息を潜める本当の自分。

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ロールパンナは自分の心が揺れやすいのを知っている。だから大事なものたちと距離を置こうとする。

アンパンマンの世界はそういう彼女を否定したりしない。

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アンパンマンで好きなのはやっぱり、アンパンマンがおなかが空いて困っている人たちに自分の顔をちぎって与えるところだ。

どうせまた後で「顔が欠けて元気が出ない」とか言うくせに、困っている人を見つけるとアンパンマンはほっとけないのだ。

そういうところがずっとずっと子どもたちを惹き付けて止まないのだと思う。

アンパンマンの作者やなせたかしさんはアンパンマンが顔をあげることについてこんなふうに語っている。

正義を行う人は、自分が傷つくことを覚悟しなくちゃいけない。
アンパンマンは自分の顔をあげる。自分のエネルギーは落ちるけど、そうせずにはいられないから。正義には一種のかなしみがあって、傷つくこともあるんです。そんなにかっこいいもんじゃない。
他のヒーローと違い、いつも傷つく。バイキンマンに押しつぶされたり、ジャムおじさんに、「助けて」と弱音を吐いたり。で、顔をつくり直してもらうと、元気に飛び立って行く。苦しくても、傷ついても、ヒーローは人を助けるために飛び立つんです。
(やなせたかし『何のために生まれてきたの?希望のありか』PHP研究所より)

そして自身の戦争体験からこんな風にも語っている。

戦争には真の正義というものはないんです。しかも逆転する。それならば逆転しない正義っていうのは、いったい何か?
ひもじい人を助けることなんですよ。そこに飢えている人がいれば、その人に一切れのパンをあげるということは、A国に行こうが、B国へ行こうが、正しい行い。だから、ごく単純に言えば、その飢えを助けるのがヒーローだと思って、それがアンパンマンのもとになったんですね。
(同上 より)

アンパンマンはやなせさんの哲学の一つの結晶なんだと思う。

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幼少時代に自然と耳になじんだ、やなせさんの哲学が大人になった今もふいに問いかける。

なにが君の  しあわせ
なにをして  よろこぶ
わからないまま  おわる
そんなのはいやだ! (『アンパンマンのマーチ』より)

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やなせさんは絵本作家でも漫画家でも放送作家でもあり詩人だった。アンパンマンという代表作を書いたのは四十代後半だったそうだ。長い助走の果てに九十歳を過ぎても第一線でご活躍されていた。

揺れ動きながらでも、もがきながらでも、自分の光を信じて、今日を、そうしてまた明日を生きていけば、何かに繋がるんだよなんて、その人生を通してやなせさんの言葉は、作品は、優しく背中を押してくれるような気がする。


Image photo by ますの 様