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なりたかった自分に近づいているのに。

やりたかったことに近づいているのに、スタートラインがもう目の前にあるのに。

自分にとっての”やりたいこと”まであと少しのところで私はパタリと足を止めて、逃げ道を如何にかこうにか探そうとしていたようだ。

自分はどうしたいんだろう。覚悟を決めて新しい一歩を踏み出したはずなのにその覚悟が不意にいなくなってしまった。自分の中にあるはずの本音が分からなくなってしまったのだ。

それは突然の出来事。私は途端に心細くなってしまい、スタートラインまであとちょっとなのに急ブレーキをかけてしまったわけだ。

***

怖気づいちゃったんだね。

泣きたいわけじゃないのに涙が止まらないんだよ。そう言いながら目から溢れ落ちる涙をなんとか受け止めようとティッシュで押さえている私に、運転席に座る友人はそんな言葉をかけた。

いったいどうしちゃったんだろうと不安になっていた私は、その言葉にはっとさせられ同時にそっかそっかと安堵さえした。

ここ数日の私は、まわりからの言葉を真正面から受け止めすぎていたようだ。お世話になっている人、憧れの人、訓練校の先生、たまたま話をした人、振り返ってみるとここ数週間はいつにもましてアドバイスをもらう機会が多かったように思える。

それぞれの経験に基づくアドバイス、それは為になる。だから聞きたくなる。でもそれらのアドバイスという名の言葉を自分の中に大事にとっておけるキャパは限られている。もらったアドバイスすべてを受け取ることなんてできないのだ。

ましてやその人たちは私の人生を代わりに先頭に立って進めてくれるわけではない、駒は私であり進めていくのは私しかいないのである。

私の中にあるまわりからのアドバイスをとっておけるスペースは、気づかないうちにいっぱいになっていた。それなのに他の人からの言葉も全部受け止めようとして、自分の気持ちをいれておくスペースも開放してそこにしまいこんでしまったのだろう。

だから結果として、自分の気持ちとまわりからの応援や心配の気持ちが混ざってしまい、自分はどうしたいんだろうと本音が見えなくなってしまったのだ。

***

花に関わる働き方がしたい、その想いをエネルギーに私は今まで歩んできた。

年明けからずっと練習に励んでいたフラワーアレンジメント検定の一つであるNFDの試験が先週末やっと終わり、就職活動に励むステップへ入ろうとしている。

花を仕事にしたい、フローリストになりたい。

これからを決める大事な時期なのに、自分の軸ともいえる気持ちがどこかへ飛んでいってしまいそうになっていた。なんならもういっそのこと手放してしまおうとさえ思った日もある。

でも、踏み止まってもう一度向き合ってみることにした。

不安になるとついまわりにアドバイスを求めてしまいがちだけれど、言葉の受け取りすぎは禁物のようだ。言葉にはエネルギーがある、だからほどほどにしておかないと。

いまの私が受け取るべきなのはまわりからのアドバイスではなく、自分の素直な言葉。

このまま進んで大丈夫なのかなとだいぶ怖気づいてしまっていたけれど、まだ軸の立て直しは間に合いそうだ。後悔しない選択を、だね。

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終電までつきあうよ、そんな友人のおかげで私の中にちょっとずつ前向きな気持ちが戻りつつあるようです。焦らず、落ち着いて、自分の人生と向き合っていこう。

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