連載日本史88 鎌倉幕府の衰亡(1)
蒙古襲来(元寇)以降、鎌倉幕府では内紛が相次ぐようになった。1284年、北条時宗が急死し、息子の貞時が十四歳で執権に就任すると、母方の伯父である安達泰盛が御家人たちの支持を得て、弘安徳政と呼ばれる幕政改革を行ったが、翌年の霜月騒動で内管領の平頼綱に敗死した。頼綱は御内人(みうちびと)と呼ばれる得宗家臣たちの支持を得て実権を握ったものの、成人して自らの意志で政治を行おうとした得宗貞時と対立、1293年に反乱を起こして敗死した。
泰盛と頼綱が死去した後も両派の対立は続き、特に土