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理解できないということを理解する

わたしの両親はたぶん非HSPだと思います。

もともと『え、この方がお母さんですか?』と言われるくらいわたしと両親は結びつかないらしいことは、学生の時に何度も経験しています。

別にそれ自体はいいのだけど、それくらい違うということは、やっぱり見えている世界、感じるものは全くと言っていいほど、違うみたいです。

わたしにしてみれば当然のように見えるものが、彼らには見えない。それってかつては、『どうしてわたしはおかしいんだろう』につながっていました。理解してもらえない寂しさを通り越して、わたしが彼らのように生きられない自分を責めていました。

でも自分自身(HSS/HSP)を知り、今度は、『どうしてわかってくれないんだろう』になりました。どうして平気でそんなことができるの?なんでそうなってしまうの?って、彼らの『わからない』がわたしにはわかりませんでした。

少しずつ自分自身をより理解することで、それが自分の気質であるとするならば、その気質がなければその感覚で生きることはできないんだとわかりました。つまり、その気質を持たない両親にはその感覚はわからない。食物アレルギーを持つ人がそのアレルギー製品を食べてしまった時の症状を、アレルギーを持たない人が経験することはできないのとおんなじだと(たぶん。汗)思います。

今例えに書いた食物アレルギーの人について言うならば、彼らは『これは食べられないんだ』と伝えることで周りはそれを提供しないように注意できます。つまり、『自分はこういう体質(気質)を持つから、こういうふうにして欲しい』と伝えることで、難しいことはなしに、普通に生活できるわけです(もちろん本当はいろいろ苦労はあると思います。すみません、あくまで簡単な例としてお借りしました)。

それだと思います。『理解できないということ』を『理解して』、それをネガティブに捉えるのではなく、じゃあどうしたらいいかを考えて行動する。それってすごく建設的で、主体的な生き方だと思います。

生きづらい、と感じた時、『じゃあわたしはどういう方法でこの問題を解決できるだろう』と考えるようにしています。もちろん考えられるくらい気持ちが元気になってから。まずは休む。

最後まで読んでくださってありがとうございました :)

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