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コーヒーの歴史vol3【日本:18~21世紀】

▼前回からの続き

コーヒー文化の始まり

日本にコーヒーが伝わったのは18世紀頃とされ、出島のオランダ商人から伝わったとされています。
これが日本におけるコーヒー文化の始まりです。

「カフェ」と「カフェー」

日本には「カフェ」と「カフェー」が存在していました。

「カフェ」は皆さんの知っているもの。コーヒーをはじめた飲食を提供する飲食店のこと。
「カフェー」は20C初期に登場した水商売っぽい店のことを指します。

「カフェー」の歴史

「カフェー」では女給は給料は貰わず、客からチップをもらって稼いでいました。当時の「カフェー」の女給は、今で言うキャバ嬢やホステスを想像してもらうとわかりやすいでしょう。

1923年の関東大震災以降、「カフェー」が一気に増えましたが、1930年頃に、風紀を乱すとして「カフェー・バー等取締要項」が出され規制され、
戦後には「カフェー」はGHQの指導と売春禁止法により終了しました。

「カフェ」の歴史

1923年の関東大震災以降、「カフェー」が増えていく時期とほぼ同時に
「カフェ」は国内に増えていきました。

理由としては、この頃から女性の社会進出が進んでいったため、女性も生活のために飲食店を開きだします。これにより店舗数が増えていきました。

さらに
・「カフェー」の規制・終了
・世界恐慌によるコーヒー価格の低下
・1970年頃、脱サラで喫茶店を独立開業する人が増えた
このような要因が重なったことで国内の「カフェ」件数は急増していきました

脱サラで喫茶店を開業する人が増えた理由は、
喫茶店が最も手軽な自営業だと考えられていたからです

また、1967年に飲食店・個人事業主への貸付を行う環境衛生金融公庫が作られ、資金調達が簡単になったことも理由の1つです。

そして1970年代からカフェが増えていき、1981年には個人・法人を合わせて15万軒をこえたました。うち、13万が個人であり、日本における喫茶店ブームの時期だと言っても過言ではないでしょう。

景気を喫茶店の関係性

1980年後半、日本の後継機により喫茶店は逆境に立たされました。
「好景気なのになんで?」と思うかもしれません。
喫茶店はむしろ不況のときのほうが強いのです。

まず、コーヒー豆の原価率は低いので、「利益率」は高いです
しかし、1人の客が長時間テーブルに座っているので回転率は低い事が多く、最終的に「利益高」は低くなります

バブルの地価高騰によりテナント料が高騰したことなどが重なり、売上が追いつかなくなっていった喫茶店が増えていきました。

喫茶店のさらなる逆境はバブル時の「グルメブーム」です。
当時のマスメディアの影響もあり。ティラミス・ナタデココ・パンナコッタなどの方に人気がシフトしていきました。
次第にコーヒーを売りにする喫茶店は人気が低下してきました。

その結果、バブル期にも関わらず、日本では多くの喫茶店が廃業しました

1991年のバブル崩壊により、喫茶店のブームが再び訪れます。
リストラによる失業者や、共働きの妻が喫茶店の開業を考え始めたことで、再び喫茶店が増え始めました。

アジアのコーヒー文化

21世紀から、それまでコーヒーに馴染みのなかった国でも飲まれるようになりました。
もともと茶の文化が浸透していた東アジアでは、日本でのコーヒー消費量が突出して多い状態でした。

韓国では90年代からインスタントコーヒーが普及してきた。
砂糖やミルクが入っている「コーヒーミックス」が流行りましたが、韓国企業が経費削減のために飲み物として常備していたことが一役買ったと言われています。

スタバが1999年、中国に進出した時、それほど盛り上がらなかったのですが、2008年のリーマンショック後、中国政府による金融緩和によりバブル突入がきっかけとなり、経済的に裕福になってきた消費者のグルメ志向が高まり、高級コーヒーブームが広がったことで、スタバの中国進出は結果的に成功しました。

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今回紹介したコーヒーの歴史はほんの一部です。
今回の内容は以下の書籍を参考に執筆しました。

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