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コーヒーの歴史について語るvol.1

今や、世界におけるコーヒーの1日あたりの消費量は約25億杯で水・お茶に次ぐ世界3位となっています。
特に北欧諸国の消費量が多いですが、日本では日本人全員が毎日平均1杯飲んでる計算になります。

世界的にこれほど好まれており、我々が日々飲んでいるカップ一杯のコーヒーには、「物語」の数々が溶け込んでいます。その「物語」の一部をお伝えしたいと思います。

※余談ですが「珈琲」という漢字は江戸時代の蘭学者である
宇田川榕菴(うだがわ ようあん)が最初に用いたと言われています

味よりも成分を求めて

今でこそ、「コーヒーの味が好きだから」という理由で飲まれるようになりましたが、昔は主にカフェインの効用をもとめて摂取されることが多かったのです。

エチオピアではコーヒーは5000年以上前から戦争時の携帯食として使用されていました。

コーヒー豆とバター(動物の油)を混ぜた団子状のものが携帯食として使われており、これを食べるとカフェインによる興奮とバターの高カロリーで気分がハイになり戦争で活躍したしていたようです。

コーヒーはこのような使われ方をされていたため、
人類初のエナジードリンク(エナジーボール)とも言えるでしょう。

また、宗教の儀式などでも用いられることが多く、気分をハイにさせるために大麻やアヘンと同じように摂取していたようです。

このように、昔はカフェインによる覚醒作用を求めてコーヒーを飲むことが多かったようです。

禁止されてきた歴史

コーヒーやそれを提供するカフェは今までに何度も禁止されたり、弾圧されてきた歴史を持ちます。

イスラム教圏での反対運動

イスラム教が普及している地域ではコーヒーの反対運動が行われていたことがあります。その理由はおもに以下の3つ

  1. 宗教上の戒律に触れる

  2. 人体に有害である

  3. カフェの誕生による風紀の乱れ

特に「カフェの誕生による風紀の乱れ」ってどういうこと?
と思うかもしれません。
カフェでは、政治に対する苦情なども飛び交うようになっていました。なので政治家にとってカフェは好ましいものではないため政治的にも反対されていた過去があります。

イスタンブール(トルコ)のコーヒー禁止令

コーヒー反対運動の中で最も過激だったのはイスタンブールでのコーヒー禁止令でしょう。

1633年の禁止令では、コーヒーを飲んでいるのを1度でも見つかったら即死刑。
1656年に多少改正されましたが、1度目は杖でひどく叩かれ、2回目は袋詰めにして海にしずめる。という過激なものでした。

やりすぎなようにも思えますが、元々、コーヒー禁止を口実に当時の皇帝を排除するという政権利用が目的だったのです。

カフェと妻と禁止令

17世紀頃のイギリスでは、カフェは基本女子禁制でした。
そのため、カフェに入り浸ってばかりの夫に放って置かれた妻たちが
「コーヒーは出生率を低下させる」というパンフレットを発行していました。

それをうけて、コーヒーハウス閉鎖令が出されたのですが、国民からの反発が想像以上だったため、閉鎖令はわずか10日で撤回されました。

そもそもコーヒー・カフェが普及した理由

そもそも、何故コーヒーやカフェが普及したのでしょうか。

それまで、シラフで交流できる場は珍しかったのです。従来までアルコールと交流の場はセットでしたが、カフェならむしろカフェインで頭をはっきりさせながら話せるため、当時はコーヒーよりも、交流の場を求めて人気になったという背景があります。

そのような背景からコーヒーは、勤勉と理性を重んじる市民の飲み物というイメージが浸透していました。

昔は男性のイメージが強かったにもかかわらず、ドイツではコーヒーは
「女性が私的空間で飲むもの」として広まりました。
しかし18世紀にドイツではコーヒー消費で国内の資金が海外に流出することを恐れ、コーヒー禁止令が出されたました

その結果、ドイツでは大麦などから作られる代用コーヒーが普及することとなりました


今回紹介したコーヒーの歴史はほんの一部です。
続編も検討しています。
今回の内容は以下の書籍を参考に執筆しました。


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