地歌 新娘道成寺 6 俵藤太(たわらとうた)伝説と竜女成仏(りゅうにょじょうぶつ)の話もちよっと関係していた
成り立ち6では、地歌「新娘道成寺」の歌詞
「我も五障(ごしょう)の雲はれて、真如(しんにょ)の月を眺め明かさん」
の背景にあった二つの伝説的話
についてになります。
地歌の歌詞だけではわからなったそういった背景が、
能「三井寺」のセリフをみたら、
面白く語られていたよ、という内容です。
地歌新娘道成寺の歌詞の訳はこちらです ↓
地歌の歌詞の訳をしていた時、
「我も五障の〜」の「も」は何に対しての「も」なのか、わからなかった、ということが能三井寺のセリフを見ることのきっかけになりました。
なんで、能三井寺のセリフをみてみたのかというとそれは、歌の成り立ちを二段階前に戻ることになります。
まず、第一段階、
地歌新娘道成寺の前身は歌舞伎であり、
歌舞伎の中の歌から抜粋されてつくられたのだということでした。
歌舞伎のどの段から持ってきたかはこちらです↓
そして第二段階は、
歌舞伎の歌詞は、能三井寺のセリフの中から持ってきたものであるとのことでした。
それは、歌舞伎の第四段の説明という所に書いてありました。こちらの真ん中あたりです↓
さらに、くだれば、
もともとは、道成寺(どうじょうじ)伝説という女性が大蛇に化けちゃうぞ、という話から始まったという成り立ちについてはこちらです↓
ややこしさがすごいですが、
つまり、
能の舞台の場面のセリフをまとめて簡略にして、歌としたのが歌舞伎の歌詞になります。
ですので、歌詞だけではわからなかったことも、能三井寺のセリフを見ると、舞台でやり取りされていていろいろとわかったりするのでした。
そして、その能「三井寺」の場面というのがこちらになります。
折から十五夜の宵である。
狂言は浮かれたついでに鐘をつくが、それをみた女も鐘を突いてみようとする。
それを見咎めた住持(じゅうじ、寺の長である僧、住職のこと)が狂女の身にして鐘を突くとはけしからんとまくしたてるが、女は気にせず鐘を突く。鐘の段といわれ、この能最大の見せ場となる。
狂言 シカジカ
シテ詞「面白の鐘の音やな。我が故郷にては清見寺の鐘の音こそ常に聞き馴れしに。是は又さゝ波や。三井の古寺鐘はあれど。
詞「昔に帰る声は聞えず。誠や此鐘は秀郷(ひでさと)とやらんの龍宮より。取りて帰りし鐘なれば。龍女が成仏の縁(えん)に任せて。妾(わらわ)も鐘を撞(つ)くべきなり。
いったんセリフはここまでにしまして、
ここのセリフの中には、地歌の歌詞の背景となる二つの伝説が出てきています。
上の太字の中に、秀郷(ひでさと)とでてきます。
これは藤原秀郷という人の名前です。
平安時代の人で、俵藤太伝説(たわらとうたでんせつ)としてしられている人になります。
そのひとつ目の伝説はこちらです。
俵藤太伝説(たわらとうたでんせつ)
藤原秀郷(ひでさと)に関する伝説。
三上(みかみ)山の百足(むかで)退治のこと。
彼が琵琶(びわ)湖の勢多(せた)の唐橋(からはし)を渡る際に、橋下に住む竜神の要請をいれて、三上山(もしくは比良(ひら)山)から襲来する百足(むかで)を退治した、という伝えである。彼はその功により釣鐘、刀、鎧(よろい)などを贈られたといわれる。
園城寺(おんじょうじ=三井寺)の鐘の発祥の伝説にもなっている。
とのことです。
三井寺の鐘といえば秀郷、俵藤太伝説がでてくるのですね。
藤原秀郷氏が琵琶湖の竜神からもらい受けた鐘が、三井寺の鐘なのだ、ということです。
それを、能「三井寺」のセリフの中で、
女性が「誠や此鐘は秀郷(ひでさと)とやらんの龍宮より。取りて帰りし鐘なれば。」といっているのですね。
そして、竜神や龍宮が出てきたところで、龍関係のエピソードである竜女成仏(りゅうにょじょうぶつ)の話が続いて語られます。
それが
「龍女が成仏の縁(えん)に任せて。妾(わらわ)も鐘を撞(つ)くべきなり」というところになります。
龍女が成仏とは何なのか?
竜女成仏の解説がこちらです。
仏教の話になりますね。
法華経に載る説話で、
娑竭羅(しゃから)竜王の8歳の娘が、
竜身・年少・女性という条件にもかかわらず、
一瞬にして変成男子(へんじょうなんし)を遂げ、往生(おうじょう)したこと。
女人往生の根拠とされ、文学や美術のモティーフとなった。
とあります。
地歌「新娘道成寺」の歌詞の中では
「我も五障(ごしょう)の雲はれて、真如(しんにょ)の月を眺め明かさん」
となる場面ですが、
この歌詞の中の、「我も」の「も」は、
「私も竜女のように」という意味の「も」なのだとわかりました。
そういった補足を加えて、地歌の歌詞を訳してみると、
女性は仏にはなれないなど、
悟りをひらく上で五つの障害があるというけれど、そんな女性のわたしも、竜女が成仏できたという話にあやかって、煩悩の雲がはれた澄みきった心を得たいのだ、
となるのだなと理解できました。
能「三井寺」の舞台のセリフから、俵藤太伝説と竜女成仏の話でした。
成り立ち7では、同じく、能「三井寺」の舞台のセリフの中から、また地歌の歌詞を訳す時に役立った所を記しました。
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