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地歌 新娘道成寺 1 地歌ができるまで

新娘道成寺の歌詞の意味を理解したい、とおもいました。

最初に歌詞の単語の意味の検索をしましたが、それだけではわからないことがありました。

たとえば、新娘道成寺の「新娘」です。

私は、新・娘道成寺ではなく、新娘・道成寺だとおもってたのでそんな疑問を持ちました。

最近の、シン・ウルトラマンとか、
シン・仮面ライダーとかと似たフィーリングですね。

また、
歌詞冒頭の「鐘に恨みは数々ござる〜」についてなんで鐘に恨みがあるの?と思いました。

シン・娘道成寺と名前のつくまでの成り行きは、

荻江節(おぎえぶし)の方のブログにて、知ることができました。

そこで知ったことによると、

1.安珍清姫(あんちんきよひめ)伝説
  (激しい愛憎劇)という、
  和歌山県道成寺(どうじょうじ)に伝わる
  話がまずはじめにあるということです。

  (内容) 
ある僧を見初めた女性がいた。
しかし、僧は女から逃げた。
女は執心(しゅうしん)のあまり蛇に姿を変え、僧を追いかけた。

僧は道成寺の鐘の中へ逃げ込んだが、蛇に姿を変えた女は鐘にまきつき、口から炎をだして、僧を焼き殺してしまった。

というものです。

そして、その伝説をもとに、次にうまれたのが、
能「道成寺」であるとのことです。

2.能「道成寺」 (僧侶と大蛇の戦い)

 この能の内容は、先ほどの安珍清姫(あんちんきよひめ)伝説とは少し違い、その後日談として作られたものである、とのことです。

(内容)
 大蛇によって焼かれた鐘を僧侶達が鐘供養した。
その供養の場に、美しい白拍子(しらびょうし)が現れた。

 白拍子は舞を奉納すると言い、舞い始めたが、突然、鐘の中に飛び込んだ。
鐘が落ちた。

 僧侶達は祈祷の力で鐘を持ち上げた。
 すると中から大蛇が現れた。
それは安珍清姫伝説の大蛇であった。
大蛇は炎を吐いて暴れたが、僧侶たちの祈りの力によって大蛇は追いやられた。

という話であるとのことです。

イマジネーション豊かですね。
こういうドラマも年末とかみたいですね。

実際の能の舞台では、上から大きな鐘が落ちてきて、その中にさっと入らなければならない場面があり、能を演じる人にとっても危険なのだそうです。

 その能をもとにして、次にうまれたのが、
歌舞伎「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」だそうです。

今度は歌舞伎が生まれたんですね。

3.歌舞伎「京鹿子娘道成寺」 
  (歌や踊りの華やかさが中心)

内容は能「道成寺」が土台となっている。
ただし、重点をおくところが違っている。
この歌舞伎の重点は、白拍子花子の美しい「娘踊り」を見せること。

 なので、道成寺の話とは関係のない
「鞠(まり)つき」「花笠踊り」「山づくし」「廓づくし」といった歌や踊りが加えられ、華やかに構成されている。
 この作品は、歌舞伎舞踊のなかの代表的演目となっている。

とのことです。

そして、この歌舞伎をもとに、次にうまれたのが地歌「鐘が岬」だそうです。

4. 歌舞伎「京鹿子娘道成寺」から地歌「鐘が岬」 ができた。 

 地歌「鐘が岬」は、別名「新鐘が岬」または「新娘道成寺」とも呼ばれるが、これらはすべて同じ曲を指している。

↑ やっとここで新娘道成寺がでました。

ややこしいことですが、
できた地歌の曲名は「鐘が岬」となっています。

その理由は、
江戸で公演され大ヒットした歌舞伎「京鹿子娘道成寺」が次に大阪で公演される時、「九州釣鐘岬(かねがみさき)」と名前が変えられたことによるようです。

コトバンクの解説にのっています ↓


歌舞伎「京鹿子娘道成寺」のなかで使われる曲達は何曲もあるようですが、

その中から何曲目かを抜き出して、つなげて、上方舞(大阪の方の舞)に合うように雰囲気を整えたものということです。

江戸の歌舞伎の豪華絢爛さをかもし出す曲達を、上方舞という抑えた雰囲気の舞に合うように、曲を作りなおしたそうです。

 歌舞伎「京鹿子娘道成寺」は、
略して「娘道成寺」とも呼ばれるので、
その「娘道成寺」からうまれた地歌として
「新娘道成寺」といわれることもある。
生田流ではこちらで呼ばれる、という説明が日本大百科全書(ニッポニカ)にのっていました。

地歌の曲のタイトルがついた理由はこれでわかりました。

歌舞伎は全部で十五段という構成になっているとのこと。そのどの段から地歌になっている部分を持ってきたのかはこちらです↓


地歌に使われたと思われる段以外の説明はこちらです↓
第九段には、二十二の山の名前が歌われる山づくしや、最後の方の段で鐘の中で白拍子の女性が蛇に変身するという説明もあります。


そして、まだ終わらず、

5. その後、荻江節「鐘の岬」ができた。

荻江節(おぎえぶし)についての、コトバンクの説明です。

おぎえ‐ぶし 【荻江節】
 江戸長唄から派生した一派の歌謡。松島庄五郎の門人荻江露友が宝暦・明和(一七五一‐七二)の頃に歌い出したお座敷風の長唄。鳴り物を用いないで三味線だけで、撥数(ばちかず)をすこし多くし静かな趣がある。今は一中、河東、薗八(そのはち)とともに古曲の一つに数えられる。


お寺に伝わる伝説から、能ができ、そして歌舞伎が江戸で大ヒットし、江戸から大阪に来て上演され、地歌化された。またその後、荻江節にもなった、となります。

↓ 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説はこちらです。

解説:

鐘ヶ岬とは地歌(じうた)の曲名。生田(いくた)流では「新娘道成寺」とも呼ぶ。
舞を伴う。

天保(てんぽう)年間(1830〜44)の成立。作曲者には石川勾当(こうとう)説と菊岡検校(きくおかけんぎょう)説とがある。

歌詞は長唄「京鹿子(きょうがのこ)娘道成寺」の「鐘に恨みは」から「思い染めたが縁じゃえ」 までをそのまま用い、同曲を初世中村富十郎が「九州釣鐘岬(かねがみさき)」として大坂で演じた時の踊り地が地歌に残ったといわれる。

音楽的には長唄のような劇的展開はなく、テンポの変化の少ない類似した旋律とリズムの構成で、上方(かみがた)舞の美しさを表す音楽になっている。

舞では、高島田髷(まげ)に振袖(ふりそで)とだらりの帯の扮装(ふんそう)が一般的。

三味線(本手、替手)のみの場合と、筝(こと)や尺八を入れる場合とがある。

荻江節(おぎえぶし)「鐘の岬」の歌詞も地歌と同じ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そして、現在の九州の地図にも、
「鐘の岬」というところがありました。
(下の地図の緑マークの所です)

機会がありましたら、ご当地巡りで行ってみたいと思います。
(かんけいあるかどうかわかりませんが…)

以上、地歌、新娘道成寺の出来るまででした。

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