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禁じられたABC読本 - 『KARJALAN LASTEN AAPINEN(カレリアの子どものためのABC)』

1942年にOtava/Valistus社から出版された『KARJALAN LASTEN AAPINEN(カレリアの子どものためのABC)』は、謎々、ことわざ、言葉あそび、田舎の暮らしや森の生き物たち、カレリアの伝統についての読み物をとおして、子どもたちがフィンランド語ならびにカレリア語で読む力を養うためのABC本。

テキストをフィンランド語の言語学者でもあり、ユヴァスキュラの教育学校(学校の先生のための学校)でフィンランド語講師を務めたアールニ・ペンッティラ(Aarni Penttilä)が、イラストをルドルフ・コイヴ(Rudolf Koivu)、アールネ・ノプサネン(Aarne Nopsanen)が手がけています。

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第二次世界大戦がくりひろげられていたこの時代、フィンランドはソビエト連邦との継続戦争(1941.6~1944.9)の真っただ中にありました。先の冬戦争(1939.11~1940.3)でカレリア地峡をはじめとした国土を失い、この地に居住していたカレリア民の一部(それでも42万人におよびます)が国内に流入し、"失われたカレリア"を求めた「大フィンランド」思想*が再び活発化、継続戦争では一時的に軍事的奪還も果たします。

そうした中に出版された『KARJALAN LASTEN AAPINEN(カレリアの子どものためのABC)』は、"失われたカレリア"から移住してきたカレリア移民の、さらには継続戦争化において奪取をめざすロシア・カレリアの子どもたちを読者として想定したものでした。

通常のABC読本と同じように、まずはイラストに彩られたアルファベットごとの単語例からはじまります。

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アルファベット E の文章に注目してみましょう。

PE-SU. お洗濯
MAA-MO PE-SEE. お母さんが洗濯しています.
LE-A PE-SEE. レアは洗濯しています.
TEP-PO UI. テッポは泳いでいます.
EL-LI EI UI. エッリは泳ぎません.
TUU-LEE. 風が吹いています.

Maamo (muamo) はカレリア語で「お母さん、ママ」の意。フィンランド人向けの子どもの読本であれば、Äiti (フィンランド語で「お母さん」)という語が使われていたことでしょう。
まさに"カレリアの子どものための"表現ですね。

つづいて、カレリア語ならではのアルファベットの説明がされています。

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ただし、表記はあくまでも「カレリア方言(Karjalan murre)」となっています。

アルファベット表記は、2007年に定められた正書法(2014年に追加)に基づく現在のものとは多少異なっています。例えばこの本では「Č」の代わりに「TŠ」と書かれていますね。

また明記されてはいませんが、単語や文法事項を見る限り、記載されているカレリア語は【リッヴィ方言】のようです(方言分類に関してはこちらの記事をご参照ください)。

お次は読み物のページから。カレリアの生活を紹介するものです。

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Kyly とはカレリア語で「サウナ」の意。
イラストの下の短い文には、taatto (tuatto;父)という語がでてきていますが、本文中ではフィンランド語の isä(父)が使われています。

下の四角でかこまれた部分には、Sananpolvi (カレリアの格言;bend of wordの意)が、一行目にフィンランド語、二行目にカレリア語で書かれています。

SANANPOLVI. 格言
Terveys on kultaa kalliimpi.
Tervehys on kullal da hobjal kate.
健康は黄金よりも価値あるものである.

その他、カレリアのことわざや謎々も随所で紹介されていますが、フィンランド語のみでの表記がほとんどです。

例でみてきたようにカレリア語(方言)の使用は、ごく一部の単語や文章の例に限られています。本書の中心となる読み物においては、語彙や文法事項ともにフィンランド語文法に則しています。つまり本書には、暗にフィンランド語化を促進させるような目的があったと考えられます。

また、読み物には「大フィンランド」思想をはっきりとうかがわせるテキストも含まれています

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SUOMI.
 Me asumme ja elämme Suomessa. Suomi on kallis isänmaamme. Olemme suomalaisia. Suomen kielihän on äidinkielemme.
 Ennen raja erotti meidät Suomesta. Ennen vieras venäläinen piti Karjalaa vallassaan. Nyt on toisin. Raja ei enää erota meitä veljistämme. Vieras sortaja on ajettu omalle maalleen.

フィンランド
 わたしたちはフィンランドに住み暮らしています。フィンランドはわたしたちの愛する祖国です。わたしたちはフィンランド人です。フィンランド語はわたしたちの母語なのです。
 かつては国境が、わたしたちをフィンランドから分断させていました。かつてはよそ者であるロシア人が、カレリアを支配していました。今はちがいます。国境はもはや、わたしたち兄弟を分断することはありません。よそ者の圧政者は、自分たちの国へと追いやられました。

なんとも直接的な内容に驚いてしまいました。。

その下にはフィンランド国歌『わが祖国(Maamme)』、そしてP.J.ハンニカイネン(P.J.Hannikainen; 1854-1924)による歌曲『カレリア民の歌(Karjalaisten laulu)』の歌詞が紹介されています。

ハンニカイネンは特に歌曲で多くの功績をのこした音楽家です。彼が生きた時代は、カレリアニズムとよばれる民族主義的な文芸運動の最盛期でもあり、多くの芸術家がカレリアを旅し、そこからインスピレーションを得た作品を発表しました。彼の詩で表現されるカレリアも、他の多くの芸術家たちが描いたような”伝統叙事詩『カレワラ(Kalevala)』を歌い継いできた、いにしえのフィンランドを伝える美しき地方”です。
亡くなった後に自身の作品が、政治的思想を代弁する役目をになうことになるとは思ってもみなかったことでしょう。

また後続ページには、「大フィンランド」の推奨を実質的に公言していた作家イルマリ・キアント(Ilmari Kianto; 1874-1970)による短い詩が掲載されており、その内容は、フィンランドの兄弟姉妹であるカレリアに自由と権利がもたらされ、今こそ喜びを歌おう、というものです。

これらを見る限り、このABC本が単に子どもの識字能力をあげるためだけでなく、啓蒙的な意味合いをもっていたことがうかがえます。

1941年には冬戦争で失ったカレリア地峡を奪回し、さらには現在のカレリア共和国(当時:カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国)の首都であるペトロザボーツクまで陥落させ、勢いのあるフィンランド軍でしたが、その後状況はかわり、1944年まで続く長きにわたる戦争の結果敗北を喫し、カレリア地方の一部をさらに割譲することになります。

そしてこの敗戦が、フィンランドにおける書物検閲につながります。

戦後、敗戦国であるフィンランドには連合監視委員会とよばれる機関がおかれました。委員会は戦勝各国による監督機関でしたが、ソ連の代表者が議長をつとめ実権をにぎっていました。

1944~46年にかけて、監視委員会はソ連への敵対感情をあおるような書籍を廃棄、もしくは一般民から手の届かない場へ移すよう、フィンランド出版協会に要請しました。出版協会は、約300冊の本の販売リストから削除するよう書店に要求します。また、"不適切な本"を公共図書館のリストから削除するよう求め、図書館は1,783冊の本をリストから削除しました。

リストから削除された本は、戦争を舞台としたプロパガンダ的な小説やエッセイ、ロシア・カレリアをめぐる旅行記、カレリア移民による回想録、ドイツ人の書き手によるソ連に言及した文献、そして「大フィンランド」に関するものであり、対象は教科書や地図にまでおよびました。特にカレリアをあつかった文献は厳しい目でみられ、多くがリストから外されました。こうした本のほとんどは廃棄されるのではなく、特別な倉庫で保管されてきたようです。”毒の書庫”と呼ばれた場に封印された本は、1958年からは研究者たちを対象に閲覧が可能になりましたが、多くは忘れ去られていきました。

『KARJALAN LASTEN AAPINEN(カレリアの子どものためのABC)』も1944年に禁止リストに含まれ、それ以降は人々の目に触れる機会もありませんでしたが、2004年、60年ぶりにOTAVA社によって復刻版が出され、多くの人の目にとまるようになりました。

私の手元にあるのも、この復刻版です。

出版社が本書を復刊した意図は不明ですが、戦後フィンランド人たちも(ときに)目を背けてきた「大フィンランド」思想と、明確な意図をもっての参戦という事実、そしてカレリア各地との関係性をふりかえるきっかけを与えてくれるのではないでしょうか。

なお、アールニ・ペンッティラは、1939年にフィンランドの子ども向けのABC読本『ABCニワトリ:低学年の子どもたちの最初の読本(Aapiskukko : alakoulun ensimmäinen lukukirja)』(1938, GUMMERUS)をはじめて刊行し、22版を重ねる大ヒットとなりました(このときのイラストはアスモ・アルホ(Asmo Alho)が担当)。
その功績を買われ、本書でもテキスト編者として起用されたことは想像できますし、彼自身にカレリア民に対する啓蒙的な思想があったとはいえません。この時代、多くの研究者、芸術家の活動はしばしば政治的に利用されることがありましたし、彼ら自身も活動費の支援を受けるために、その行為をしばしば容認してきました。

また、ルドルフ・コイヴがイラストを手がけたABC本といえば『フィンランドの子どもたちのためのABC(Suomen lasten aapinen)』(WSOY, 1951)がなんといっても有名です。

人気を博したこれらのABC本とは異なり、”毒の書庫”で長い眠りを強いられてきた『KARJALAN LASTEN AAPINEN(カレリアの子どものためのABC)』は、フィンランドとソ連、そしてカレリア各地の複雑な関係性を如実にあらわしている存在ともいえるかもしれません。

色々と考えさせられる一冊です。

参考文献等

*大フィンランド思想に関しては、石野裕子さんの著作をご参考下さい。
「大フィンランド」思想の誕生と変遷――叙事詩カレワラと知識人 (岩波書店, 2012)
物語 フィンランドの歴史 - 北欧先進国「バルト海の乙女」の800年(中央公論新社, 2017)

参考WEBページ

フィンランドKALEVA紙:"Vieras sortaja on ajettu omalle maal­leen" (Kaisu Mikkola, 2004)
:『KARJALAN LASTEN AAPINEN(カレリアの子どものためのABC)』復刊に関する記事
フィンランド公共放送YKE:地域ニュースRIIHIMÄKI
 Vihamielinen kirjallisuus pois piilosta – "Kiellettyjä kirjoja tullaan katsomaan Tampereelta saakka"(MIKI WALLENIUS, 2016)

:RIIHIMÄKI図書館で2016年秋に行われた禁書の展示企画に関する記事





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