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自分を守ること、人を想うこと

毎日なるべく自分に無理のない生活がしたい。
したくないことはしない生活をしたい。
それで良いと思うし、それができれば自分を守れる。

多数よりも少数派、1人で過ごすのが心地良い、
でもそんな自分をずっと優先していたら
たぶん私の周りに人はいなくなるんだろうなとも思う。

アイスランド人の彼が友人主催の誕生日パーティーに参加してほしいと言ってきた。私はその友人を知っているし、何度か会ったことはある。
が、今回のパーティーは規模が大きくなぜかコスプレのテーマが決まっている。

…..行きたくない。参加しなくても良いんじゃないの。

顔見知りが少しいる程度で、たくさんの人の集まりの中にコスプレして、
楽しくにこにこいられるほど私はオープンな性格ではない。

あとはどうも外国人1人という環境が苦手だ。
パートナーも含めて友人たちは現地の言葉で、よくも悪くも放置だから
その言語が分からない私はどうすることもできない。
英語に切り替わるときもあるけれど、お酒が入りだすとほぼ英語はなし。
そして私はお酒は飲まないので、酔って紛らわすこともできない。

分からない言語でみんなが笑って楽しそうにしている中に1人でいる虚しさは
わかる人にはわかるんじゃないかと思う。とにかく私は泣きたくなるほど辛い。
そんな気持ちにはもうなりたくないから今回も行きたくないんだ。

…いつも私はパーティー行ってどういう気持ちになるか知ってるでしょ。なぜパートナーというだけで行かないといけないの、1人で楽しんできたら良いじゃん。

正直にそう話すと彼はある程度の理解はしてくれたけど、
「一緒に時間を楽しみたいから来てほしいんだよ。君も友だちに僕のこと会わせたいでしょ、それと一緒だよ、、、でも本当に嫌なら来なくていいよ」って
ものすごく悲しそうに答えた。

自分を守るって大切だけど、どこまで必要なんだろう?
彼の答えを聞いてそんなことをふと思った。
これはたぶん守らなくて良い自分なんだなとも直感した。

自分が傷つきたくないから行かないという選択もありだとは思う。
でも守ったところで何も生まれないし、
そもそも外国人パートナーを持つということは、ある程度のそういう社交の場は避けきれない問題でこれからも多々ある。
ここで逃げてもまた次があるんだよ、、笑
覚悟の時期か。

それなら参加して多少自分が辛くなっても、私は私の大切な人のことを想いたい。
今回の礼儀は友だちの招待に感謝して参加し、その場を楽しもうとすること。

分かった、行くよってそれを伝えるともちろん彼はにっこり。
これで良いんだ、って私の状況を受け入れる変な覚悟も生まれたし。

自分も大切にしたいけど、自分の大切な人たちも大切にしたい。
これも母からもらったテーマなんだ。人を想うこと。



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