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『魔女の宅急便』をはじめて観た

ハリーポッターの映画を一度も最後まで観たことがない、と言ったら「そんな人っているの?!」と驚かれたことがあります。
ジブリ作品も毎年放送しているイメージがあるので、今じゃなくてもいいかと思ってあまり観たことはありませんでした。
でも会社にジブリ好きが多くて、なんとなく録画しておいた『魔女の宅急便』を3ヶ月経った今日観たので、その感想をつらつらと書いていこうと思います。


ストーリーについては割愛しますが、思い返してみるとおソノさん・ウルスラ・老婦人の3人がとても魅力的でした。

・おソノさん
新しい街に来てから、事故を起こしかけたり馬鹿にされたりして落ち込んでいるキキの優しさを見て、家に住まわせてくれる姉御的な存在。
みんなから慕われていて、おソノさんに会いに来るお客さんもいるんじゃないかな。わたしだったら仲良くなるために通いたい。

個人的には、キキに宅急便の依頼をする場面で「徒歩で行ける距離だから料金はいらない」と断るキキに、「これも仕事のひとつなんだから」と言ってしっかりお金を払ったシーンが、仕事の責任やお金を貰うことについて教えてくれてすごく好きでした。キキを子どもじゃなくちゃんと1人の女性として見ているところがいいよね。
まさにこういう女性になりたいという理想像でした。

・ウルスラ
森の中の小屋に住んで絵を描いている画家の女の子。明朗快活なイメージがあるけど、キキを泊まらせた時の会話がとても印象的だった。
魔法が弱まって悩むキキに、大丈夫だよとかそんな言葉をかけるのではなく、「そういう時はジタバタするのさ。それでダメなら違うことをする。そうすればまた絵を描きたくなるもんさ。」と言ったのが、ずっと絵を描くことを続けてきたウルスラだからこその重みがあって、一つのことを極めることってその人自身の強みになるんだなととても印象深かった。

「魔女の血、絵描きの血が流れているのさ・・・神様にもらった血に悩まされることもあるけどね」という台詞には、自分にはどんな血が流れているのだろうと考えさせられました。若い女の子なのに、強くてかっこいい。

・老婦人
ニシンとかぼちゃのパイを孫の誕生日パーティーに届けてほしいという依頼をした女性。

魔法が使えなくなったキキにチョコレートケーキを用意して「これをキキという人に届けてもらいたいの。あと誕生日も聞いてきて欲しいわ。そうすればまたケーキを作れるものね。」とあたかも配達をお願いするように励ますシーンでは涙が出ました。
そんな自然で押しつけがましくない励まし方って出来るの?!って衝撃を受けたし、宅急便やさん(魔女)としてではなく、キキ自身を見てくれているんだなと感動してしまいました。ちなみに作中ではここが一番泣いた。

品の良い出で立ちをしていて、でもそれは服や装飾品だけではなく心の優しさから滲み出てくるものなんだろうと感じました。

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3人の女性について書きましたが、やっぱり全てはキキのまっすぐなところがあってこそだと思います。
お母さんに「飛ぶことしか出来ない」って言われていたけど、それを活かして宅急便やさんを始めたり、依頼されたものは雁に襲われようが豪雨の中だろうが、絶対に届けるというひたむきな姿勢があったから、みんなに優しくしてもらえたはずです。
優しくされたいなら、自分から優しく接しなさいということですよね。キキちゃんはそれを意図せず自然と出来る子だからみんなに愛されているんでしょう。

魔女の宅急便、今になってからでも観れてよかったと思う作品でした。小さい頃に観てたら、わたしも頭にでっかいリボン付けて走り回ってたに違いありません。影響されやすい人間なので。(笑)

タイトルは知ってても観たことのない新しい映画を観るっていいですね。この世の中には、映画に限らず知らないストーリーがどれだけあるんだろうと考えてしまいました。
「何か新しいことをする」って仰々しくて腰が重く感じるけど、「経験したことがあるうちの新しいもの」でもこんなに新鮮な気持ちになれるのはいいなと思います。
優柔不断なのはリスクを懸念してしまうからであって、今までやったことがあるものならそんなことないですしね。

魔女の宅急便を観てそんなことを思った1日でした!

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