世間知らず

生まれ変わったら人間じゃなくなっていますように。

耳から流れているのは東京事変の「私生活(新訳版)」。亀田誠治作曲、椎名林檎作詞。この時点でアルバム曲とはいえ当時から人気だったであろうことは自明ですが、これまでたくさんの曲をリリースしてきたバンドがなぜいま、この曲に手を加えるという選択をしたのか。

無視することの出来ない感染病がなかなか終息することなく、わたしたちは共に生きていくと覚悟を決めたわけでもないのに、これまでとほぼ同じような生活を求められる。それには働いてお金を稼かずには食べていけないし、愛する「あなた」との幸せのために必要不可欠なこと。そんなわたしたちのあるべき「幸せ」を求める、なんてことない生活に焦点を当てている、わたしは「私生活」という曲をそう解釈しています。

この曲の魅力にどっぷり浸かったのは数日前、インターンのために様々な企業に提出したもののお祈りされることとなったESを読み返しながらのこと。基本的に音楽を聴く時は1曲リピート派だから、数多ある自分のプレイリストに入った曲から選び出すために曲名は覚えている方だけれど、「私生活」はたまにランダムで聴く時に流していただけで、そんなにハマらなかった曲。でもなぜか、「働くこと」そして「自分の足で生きていくこと」これを強く実感したからなのか、自分でもわからないけれど、曲調やら歌詞やらとにかく気に入った。

裕福ではなかったけど、貧乏でもなくて、そういう家庭で育った自信がある。習い事はさせてもらえたし、食べたいものや着たいものの希望が言えた。母はいつも家にいて、それを疎ましく思ったこともあったけれど、いつだって安心をくれた。
誰に言われたわけでもないけれど、休みの日はみんなリビングで同じテレビを見た。たくさんではなかったけれど、旅行にも行った。
こんな自分にとっての普通の生活は、父と母にとってどれだけの幸せだったんだろう。

正直、就活なんて楽勝だと思っていた。中高は偏差値的に良いとは言えない学校だったけれど、色々な経験をさせてもらえた。女子だけの環境で、色々な「強さ」を知った。大学は頑張って勉強して、高学歴と言われる国立大に現役合格した。専攻分野はちょっとぶっ飛んでるけれど、今後日本社会で必要な人材になる自信があって、胸を張って入学したし、いまも大きな声で専攻分野を語りたい。

わたしは留学の関係で留年してるから、周りは就活を終えていて、昔なじみの友達から「中高の話は人事が食いついてくるよ!」と聞いたは良いけれど、そもそも人事と話すところまで進めない。なんならESは中高のネタを使って落ちた。最初は適性検査の非言語のせいだ、と言っていたけれど、ESだけで落ちた功績があるのでもう通用しない。今ならわかる。大企業というものに憧れがあって、自分のやりたいことなんて人事は見飽きた様な内容だったからだろう。つまりわたしの言葉じゃなかった。「就活」というものに縛られて、就活はじめたてのときに知った「就活は自分をアピールする場」ということを忘れていた。
……でもアピールに振り切ってもだめ、バランスって難しい。
それから企業研究が足りてない。根本的になめてた。

ESの内容は今後良い方向に変えれば受かるでしょ。まだそんなこと思ってる自分もいる。本番は冬からだから、ね。
だって、大企業に入りたくて、完璧と言われるような、そんな人になろうと頑張ってきたつもり。でも、いろんなインターンや就活イベントに参加してみると、周りには自分より優れた、まるで大企業に就職する以外ないだろう、なんて人ばっかりだった。今までの自分の頑張りって何だったんだろう。周りの人はたしかに「あなたは頑張ってる」そう言ってくれてた。同情だったの?

わたしなんかよりよっぽど優れた人達に「なんで大企業に就職したいんですか?」なんて問いかける人事たち。そう思う理由や裏に隠された本心を自分自身に問いかけてみろ、と。
そこまでして優秀な人材を落としたい理由はなんなんだ。わたしが問いたい。

父は高給取りらしい。実際の年収はわからないけれど母曰く、そうらしい。たしかに、どの企業の採用情報のページに書いてある新卒の月給を12倍しても、小耳に挟んだ父の年収には到底叶わない。新卒とそこそこの地位にいる父を比べてなんの意味があるんだ、というのはもちろん理解しているけれど、ここでわたしが言いたいのは「幸せに必要なのは、選んだ企業じゃない」ということ。

イカやタコになってインクで争うゲームのフェスで「人生に必要なもの」として富を選んだ人が多すぎて、なかなかマッチしなくなってしまったように、どんなに名声や愛を得ても、人は幸せにはなれないんだろう。
わたしは彼氏に言われて富にしたけれど、本当は名声を選ぶつもりだった。でも名声で大成するのは芸能人の中でもひと握りだ。お金の余裕は心の余裕、大きく頷きたくはないけれど、そういう事なんだと思う。天邪鬼は捨てるべきだ。
これに気づけた今日のわたしは1週間くらい前、ベッドの上で「私生活」を聴きながら声を殺して泣いたあの日より、少し成長したらしい。
働けなければ人を愛することも許されないんだろうか、と泣いたわたしは、明日目が腫れてませんようにと祈りながら必死で人生の先輩にアドバイスを求めた。「就活はいかにプライドを捨てられるか」知恵袋にこう書いたどこの誰かも知らない人の言葉を少しずつ自分のものにしていけているのだろうか。

最近の大人の風潮といえば、「好きを仕事に」。転職をする人が増えて、人材派遣業は大儲けらしい。ここだけの話、就活を終えたさっきの友達から「人材派遣はテレアポ」なんて聞いてしまったから、内定もらえたとしても辞退してやる、なんて強気な気持ちでインターンに望んでいる。
閑話休題。好きを追い求める仕事が出来ればどれだけ良いか。多くの人が出来ないからキャッチフレーズにして浸透させているのだろうか。

話を父に戻せば、元々好きだったことを仕事にしたわけではないけれど、もうわたしの人生の1.5倍くらい働いているし、それこそ高給取りだ。人を見下すつもりは全くないけれど、正社員ではなく準社員として生計を立てている女性もいる。わたしのアルバイト先のお姉さま方はそれで幸せそうに生きている。
真っ当に生きてるなら人に恥じることなんてなにもない。自分で意味もない基準を作ってそれでしか物事を見れないなんて、なりたくないって言ってた人間そのものなのだ。

それに気づけた夏なんだって自分を慰めないと生きていけないのは、まだプライドに塗れているからなんだろうか。

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