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口語訳で読む原始仏典ブッダ「スッタニパータ」は和歌のような美しい人生訓の集成

尊敬と謙遜と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、ーこれがこよなき幸せである。

中村元「スッタニパータ」(岩波文庫),265句

耐え忍び、ことば使い美しく、修養に励む人に会い、しかるべき時に教えを論じ合うこと。これがこよなき幸せである。

今枝由郎「スッタニパータ」(光文社古典新訳文庫),266句

イントロ(飛ばしても構いません)

わたし、信仰心ってありません。
「般若心経」を幼少のころから聞かされ、青年期~大学~現在とお経や仏教を調べていく内に、現行の宗教に尊厳をまったく持てなくなりました。

その原因の1つはお経です。
だって、お経ってどうして漢語のまま吟じるのでしょう。
そんなのって意味が伝わらないじゃないですか。
高校教諭が「$${F=ma}$$です。」「あーそれ$${p=mv}$$です。」の一辺倒だと怒りますよね。意味を言葉で説明してください、となりますよね。

そこで当然口語訳が必要とされるわけですが、この当然なことがなかなか行われなかった一つの理由は、多くの仏教学者が、口語訳とは経典の内容を卑俗化することだと考えていたからです。しかし歴史的事実をふり返って考えてみると、口語訳するほうが学問的であり、あの難解な古い訳語を墨守するほうが非学問的なのであります。

中村元 『原始仏典を読む』 岩波現代文庫

インド哲学者、仏教学者、比較思想学者である伝説的存在、中村元 先生のお言葉です。

まさにそのとおりなんですよね。

「お経」という語はもともと「経糸たていと」に由来します。
ブッダの言葉を暗唱するために、簡潔な詩の形にし、それを笹に記して、「経糸」で纏めたことから、「経典」、つまり「お経」と呼ばれるようになりました。

お経は、意味を再確認するために吟詠されて、暗記をするために繰り返し暗唱され、受け継がれてきたのです。「はんにゃーはーらー」や「なむあみだぶつ」と音で読むことに意味はありません。現在、日本で読経されるお経は、梵字(古代インド語)の原典を漢語(西暦800年前後の古代中国語)に翻訳したものであり、いわばシェイクスピア作品(オリジナル言語はただの英語ではなく西暦1500年頃の古英語)を現代の日本語に翻訳し、それを韓国の人が音読みしているのと変わりません。そのような音読みに呪術的効果などあるはずが、もちろんありません。わたしは、現在の読経の文化に対して、経に込められた真意をなかったことにする、暴虐ささえ感じてしまいます。

※ 呪術的効果のある音は科学的には存在しません。和声として心理的に作用する音はあります。

中村元先生は、上記の志で多くの経典を口語訳(現代訳)されました。それも極力に仏教用語を含まない、わかりやすい日常語にしてくれました。

足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

中村元「ブッダの言葉(スッタニパータ)」"慈しみ"からNo.144

ところが、中村元先生は訳しすぎて、本のタイトルにあたる仏典が、どの仏典なのかわかりにくくなってしまいました。いかんせん、仏典名はパーリ語をカタカナ表記されることが多く、一見しても馴染みがなさすぎます。そこで、岩波文庫 中村元訳の原始仏典は、何があり、経典のどこにあたるのか、まとめました。

経典の体系

経典の全容

要点だけを挙げると

岩波文庫 中村元訳の原始仏典は経蔵から選出されています。
7冊出版されています。

  1. 『ブッダのことば』

  2. 『ブッダの真理のことば・感興のことば』

  3. 『ブッダ最後の旅』

  4. 『仏弟子の告白』

  5. 『尼僧の告白』

  6. 『ブッダ神々との対話』

  7. 『ブッダ悪魔との対話 』

経蔵に注目します。

うまく表現できたか疑問ですが。。。
わかりにくいですよね。
書籍で確認したい方は馬場紀寿 『初期仏教』(後述)が参考になります。

はじめて読むのであれば

「スッタニパータ」です。
最古の仏典といわれ、ブッダが逝去して、紀元前200年頃(諸説あり)、比較的早い時期にまとめられました。「スッタニパータ」は、大乗仏教がメインの日本人には馴染みがありません。しかし、スリランカでは現在でも日常的に使われています。結婚式などお祝いの際に、祝福の言葉として「スッタニパータ」から「慈しみ」の節が詠まれているとのことです。我々が慶弔のときに、お経や聖書の言葉を読むのと同じです。

岩波文庫 中村元訳が定番です。他の翻訳もありますが、それらは仏教概念的な和文が多く、読みづらいのです。「スッタニパータ」は、お経な「現代的な仏教」が出来上がっていない頃の書物だというのに、どうしてこうなるのやら。中村元訳では、仏教用語的な四字熟語はまったく出てきません。注が若干専門的ですが、本文が簡潔な日本語なので、むしろ注が必要になるケースは少ないと思います。

2022年、新訳 今枝由郎「スッタニパータ」(光文社古典新訳文庫)がでました。こちらも仏教用語がでてこない、純粋な和文です。新たな定番になるかもしれません。今枝版は、本文の左ページに注が載っており、読み進めやすいです。

『ブッダのことば』(岩波文庫 中村元訳)では、解説も充実しており、「スッタニパータ」の経緯、現代性についても載っています。

解説部分と「スッタニパータ」の概説には、こちらの動画も参考になります。

YouTube: 中村元 - スッタニパータの解説 

参考文献

  • 中村元 『原始仏典を読む』 岩波現代文庫

  • 中村元 『原始仏典』 ちくま学芸文庫

    • 岩波版とちくま版とで、似たような書籍があります。いずれも講演をもとに、整理・加筆されたのではないでしょうか。ちくま版の方が若干詳しいです。

  • 馬場紀寿 『初期仏教――ブッダの思想をたどる』 岩波新書

  • 白取春彦『超訳 仏陀の言葉』

  • 手塚治虫『ブッダ』

    • 手塚治虫ご本人が"あとがき"で述べているように、『ブッダ』はかなりの脚色があります。アーナンダ(Wikipedia)が作中では元殺人鬼、その後改心とされていますが、史実は異なるようです。とはいえ、多くの挿話は、上記の中村元著書や下記『釈迦』で出てくる内容と同じです。

  • 瀬戸内寂聴『釈迦』

    • 十大弟子の1人アーナンダが世尊ブッダの晩期を物語ります。この小説は大パリニッバーナ経をもとに、テーラーガーター、テーリーガータなども取り入れて、仏典の伝承に近いストーリーになっています。世阿弥の半生を描いた『秘花』で初めて瀬戸内寂聴の作品を読みました。瀬戸内寂聴さんは、世阿弥の『秘花』を85歳、この『釈迦』を80歳のときに執筆されました。『釈迦』の巻末解説(横尾忠則)にあるように、年齢詐称と言われてもおかしくないほどに、精緻かつ、いわば「釈迦花伝」のような艶やかさがあります。手塚治虫『ブッダ』よりもわたしは好きです。

  • ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』

    • ドイツは意外にも仏教文献の研究が盛んのようです。中村元 著作でもたびたびドイツの名が出てきます。ショーペンハウエルがインド哲学に傾倒したともいわれています。注記すると、史実を小説化したのではありません。読んだのが随分前で、忘れました。再読して追記します。

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