2019 天国には別の入口がある4(最終)
駅前のカフェでクドリャフカを待つことにした。
中学生のころから会っていない彼がなぜ自分に連絡を取ってきたのか、そしてどうして自分と同じ夢を見ていたのか。カフェはすこしひんやりとしていたが、クドリャフカのことを考えると、自然と身体が熱くなった。
(たぶんそらみみさんと僕は、隣に生えている葉っぱなんです)
クドリャフカの言葉を思い出す。鼓動が速まり、身体がソワソワと落ち着かなくなる。
夢のなかの彼は、美しい青年に成長していた。すこし甘い目元と、緩いウェーブのかかった栗色の髪、やわらかいカーブを描く唇が、幼いころの彼の面影を残している。
黒いコートを着た青年がカフェへ入ってきた。彼だ。青年は自分の姿を見つけると、迷いのない足取りで類のテーブルへ歩いてくる。
「お久しぶり。そらみみさん」
「お久しぶり、工藤くん」
工(く)藤(どう)逸(いつ)樹(き)は悪戯が見つかった子供のような照れた笑みを浮かべて、コートを脱いで類の向かいに腰を下ろした。
「今日の夢でバレたかなと思ったけど、やっぱりバレちゃったね」
「工藤だから、クドリャフカなのか?」
「そう。もともとライカ犬が好きだったこともあるけど」
逸樹はウェイターにコーヒーを頼むと、黒いタートルネックのセーターの首にかけられたネックレスを指した。
「これのせいかもしれない」
薄黄色のガラス片のようなペンダントヘッドのネックレスを外して、類に渡す。
「リビアングラスっていうんだ。リビア砂漠で採れるパワーストーンで、隕石の衝突で溶けた岩が固まってできたガラスなんだ。前世や輪廻に関わりがある石で、僕はお守り代わりに身につけてる」
逸樹が夢のなかで持っていた石だった。隕石の衝突で誕生したパワーストーン。これが逸樹と自分に同じ夢を見せる原因なのだろうか。逸樹にネックレスを返す。
「トリニタイトは持ってないんだ」
「あれは放射線を放っているからね」
「俺のツイッターだと最初からわかっていて、連絡してきたのか」
「君に会いたくて、今年の中学校の同窓会へ行ったんだ。君は仕事で来ていなかったけど、そこでツイッターのアカウントを教えてもらった」
同窓会がある休日にはホテルの仕事が入るので、類は同窓会へ出たことがなかった。
コーヒーが運ばれてくる。逸樹は上気した頬をさらに赤くして、コーヒーを飲んだ。
「君のツイートを追いかけていたら、君が夢のツイートをするようになった。最初は君に僕の頭を覗かれているのかと思ったよ」
コーヒーを飲みながら、逸樹が穏やかに微笑する。
「そうして、これは僕の前世からの運命じゃないかと思った」
「同じ核実験場で働いていた?」
「そうだね」
お互いに無言でコーヒーを啜る。ほんとうに話したい内容はカフェでは言い出せなかった。逸樹は類が自分を好きだったことを知っている。逸樹はどうなのだろう。自分の指先がジンジンと熱を持つ。
「ここを出ないか」
コーヒーを一気に飲み干して、逸樹は晴れやかな表情で笑った。
「僕もそう言おうと思ってた」
高く澄んだ冬の夕空の下を、類は逸樹と並んで歩いた。
近所の児童公園へ辿り着く。落葉樹林のある遊歩道へ歩を進める。
ドウダンツツジの陰に隠れたベンチへ、ふたりは腰を下ろした。葉の落ちたケヤキの放射状の枝が、淡いオレンジ色の空に黒々と伸びている。
「何で十九歳だって嘘をついたんだ?」
自分の声が、白い煙となって消える。逸樹はコートの襟を立てて、静かに苦笑した。
「僕が一番大変なときだったから。中学を出て二年後に高校へ入学して、苛めに遭ったんだ。前も書いたけど、苛められていた奴を庇って。そのせいで体調が元に戻って、単位制の高校へ変えた。それでもなかなか学校に行くことはできなかった。あのときが人生のどん底だった」
暗くなっていく空に、逸樹は目を向けた。逸樹の瞳の底に、オレンジ色の空が淡く映っている。
「どん底の自分を君に見せたかった。君はやっぱり優しかった。前と同じだ」
逸樹は白い息を吐いて笑う。
「卒業式のときに、柏木くんが声をかけてくれたって、母から聞いた。君は頭がいいけど大人しい生徒で、これまで僕をライバル視してたんだろうと思ってた。僕は家でゲームばかりしていたけど、柏木くんが心配してくれたから、こんなことしている場合じゃないって思った」
心にふわりと細波が広がる。自分の思いが、逸樹の心に繋がっていたのだ。
「それからすこしずつ、家で勉強するようになった。学校へは行けなかったけど、自分を変えなきゃ駄目だと思った。高校を卒業するまで七年かかった。今年ようやく、大学に合格したんだ」
「大学で何をやっているんだ?」
「原子力工学」
逸樹は照れくさそうに目元を緩ませた。
「最初は原子力の平和利用に興味があったけど、そらみみさんと関わってから、それが僕の運命じゃないかと思えるようになった。僕らはたぶん、前世で原爆の開発に携わっていた。そして、それを後悔していたんじゃないかな。だから、原子力を悪用しないようにしたかった。砂漠に二度と、黒い雪が降らないように」
「二度とトリニタイトが作られないように」
逸樹は生真面目な表情でうなずいた。
「あのころから、君は僕の支えになっていた。でも、君に会う勇気がなかった。いつか君にお礼を言えたらと思っていた。ツイッターで、好きな人が引きこもりだったって君が言ったとき」
逸樹は目に涙を浮かべていた。
「世界がひっくり返った。しばらく動悸が止まらなかったよ」
涙が雫になって、うつむいた胸元に落ちる。
「何で君が僕を好きなんだろうって。だって、僕はほんとうに、情けない奴だったじゃないか」
声に嗚咽が混じる。声を殺して泣き始めた逸樹の身体を引き寄せて抱きしめる。
「あのときは情けなかったかもしれないけど、今はそうじゃない。工藤くんは強い奴だ」
病気にも負けずに、自分で道を切り拓いてきた。逸樹はほんとうに強い奴だと、類は熱くなった頭で思う。
「人間はふたりいれば争いが起こる、って、工藤くんは言ったけど」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら自分を見上げる逸樹と目を合わせる。
「人間がふたりいれば愛することもできる」
逸樹の唇に唇を重ねる。
「俺といっしょにいよう。一生かけて証明しよう」
身体が熱いのに、小刻みにふるえる。逸樹の唇もふるえていた。唇を離すと、逸樹は泣きながら笑っている。
逸樹の身体を抱きしめた。熱い身体に腕を回して、背中を規則的に撫でる。
逸樹のふるえが治まっても、類はしばらく逸樹を離さなかった。逸樹の熱を全身で感じる。自分よりも愛おしい魂の存在を、冬の澄み切った空気のなかで感じ取る。
「そらみみさんと同じ夢が見たい」
逸樹がぽつりと呟いた。
「目を閉じてじゃなくて、目を開いて。君と同じ夢が見たい」
身体を離した逸樹が、類の目を瞳に映して微笑む。類は初めて、自分の失われた心の半分を見つけたような気がした。