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普通の日本人の私が、いまアフガニスタンに想いを寄せる理由

私は日本に住んでいて、日々平穏に暮らしている普通の女性だ。
そんな私でも、いまアフガニスタンで起こっていることは、他人事のように思えなくて、すごく胸が痛い。

ちなみに、近所にイスラム教の友人はいないし、イスラム圏に旅行したこともない。宗教観について、深く学んだこともない。
それでも偶然、イスラム教について知ることになった2つの作品がある。

マンガの中のイスラム

一つは、たまたまネット見つけた「サトコとナダ」というマンガだ。

アメリカに留学してルームシェアをすることになったら、同居人がイスラム女性(サウジアラビア出身)だった、というお話。
ネットでほぼ全話公開されていて、4コマなので読みやすく、数年前に一気読みした記憶がある。

登場人物の中には、アフガニスタン出身のパキザという女性がいる。

パキザは普段、目の部分だけ穴が空いた「ブルカ」を着ているので、顔が全く見えない。ただし家族内や女子同士だと顔を見せても良いらしく、ひとたび女子会があれば、ベリーショートが超似合う大人女子に変貌する。

270話でパキザは、病院でお医者様と話すため、顔が見える「ヒジャブ」をつける。それをみた彼女の夫は、パキザが緊張しているのを知って、「ここはアメリカだよ、ブルカを着ていないと撃たれるようなことはない」と語りかける。

このシーンは、読んでいた当時ちょっと胸がちくりとしたのを覚えている。

その他の大筋は、猫耳ヒジャブとか、サウジアラビアの料理とか、文化の違いとかを知れるので、私はすごく楽しく読んでいたのだけど。

とはいえ、このマンガのおかげで、私がイスラム教自体に描いていた「何となく悪い」イメージは払拭された。
そして、イスラム教はそれぞれの解釈が重要な宗教で、それゆえにイスラム原理主義のように、極端な思想を持つ人たちも生まれるのだということもわかった。

しかし、フィクションよりも恐ろしい現実が、今のイスラム世界にはある。

イスラム原理主義と女性

もう一つのきっかけとなった作品が、『THE LAST GIRL』という本。
こちらは、私がライターとしてflierに要約を掲載した時に読んだ本だ。(要約はこちらから読めるので、興味がある方は見てみてほしい)

『サトコとナダ』がフィクションなのに対し、こちらはノンフィクション。
著者のナディアさんは、イラク北部に住んでいたヤズィディ教徒だ。日本でもイラクやシリアでのテロ活動が大きく報道された「イスラム国(ISIS)」に囚われ、性奴隷として売買された経験を全て、自ら綴っている。

とにかく、目を疑うような内容だった。正直、本当に読むのが辛かった。
かなり時間をかけて、少しずつ、読んだのを覚えている。

思想が違うだけで、男たちは殺され、女たちは奴隷として売買される。
大勢の女性を乗せたバスは、取引へ向かう途中、街を通る。女たちが泣こうが喚こうが、街の人たちは目もくれない。抵抗さえしなければ平穏な暮らしが(少なくとも今は)できることを、街の人たちは知っていた。

Wikipediaによれば、2021年3月時点でイスラム国は事実上壊滅状態にあると言われている。

それでも、イスラム原理主義によって女性たちが危機にある状態は、アフガニスタンも変わらない。

そして、アフガニスタン

2021年8月、タリバンによって、アフガニスタンの首都カブールが陥落。女性たちは学校や職場に通うことができなくなり、家で息をひそめているという。

数年前のイラクで起きたことと、今のアフガニスタンの姿は少し違うかもしれない。それでも、イスラム原理主義で、男性主義と暴力による支配を是とした事件であるという点は共通している。

今のアフガニスタンでは、タリバンに批判的な態度を取るか、あるいは何もしなくとも女性だというだけで、命の危険がある。

私は、自ら知ろうとしたわけでも、勤勉であったわけでもない。ただ、たまたま知ることになった知識で、今のアフガニスタンで女性がどういう目に合うか想像してしまっただけの、普通の日本人だ。

まだまだ足りない知識はある。それでも、何ができるかを考えずにはいられなかった。

それで、この記事を書くことにした。
日本に暮らす私が、いまアフガニスタンを思わずにいられないのは、女性であるだけで暴力の対象にされるのは実に遺憾だという態度を、残しておきたかったから。

幸いにも、アフガニスタンの女性たちのために私たちができることは、まだ残されている。

日本でアフガニスタンを思う人や、この記事を最後まで読むなんて思ってもみなかった人も含めて、一人でも多くの人に、この言葉が届くことを願って。

最後まで読んでくれてありがとうございます。

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