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リーダーシップ理論の使いみち(その1)

小生はリーダーシップの理論家ではなく学生や社会人のリーダーシップを開発する者である.その開発(教育)課程で日常的に既存の理論を使わせてもらう立場にあり,その使い心地について種々思うところがある.以下ではいわばリーダーシップ理論のユーザとして感想と提案を書いてみたい.

まず,いろいろなリーダーシップ理論を知っていて自分で選んで使い分ければ,適切なリーダーシップを発揮できるようになるだろう,とよくも悪くもストレートに考える人たちがいる.書店にならんでいる種々のリーダーシップ本は暗黙のうちにこうした習得法を前提にしているものが少なくない.すなわち読者がその本を読んで理解すれば,自分でそのようなリーダーシップを発揮できるようになるだろうという想定である(それ以上の手間がかかるのであればそれはユーザが工夫してくれということかもしれない).そしてこの場合の「いろいろなリーダーシップ理論」としては,学者のまとめあげた理論に限定すべきだという考え方もあれば,リーダーシップについて一家言ある経営者や政治家などの書いた持論(theory in practice)を含めてもよいという考え方もあるだろう.

これに対して,自分がリーダーシップを発揮した経験について,自分一人で内省するだけでは充分ではなくて,周囲にいた人とリアルタイムにお互いにフィードバックを交換して,それを手がかりにして自分の経験を内省し,自分のリーダーシップ改善策を立てて言語化し次の経験の場に向かう,といういわばソーシャルな習得法も使ったほうがよいという考え方がある.他人からは見えて自分には見えなかった点(良い点悪い点含めて)に気づくという意味で学びが大きい.リアルタイムとまでは行かなくても,過去の自分の経験を振り返って同様に改善策を作るという方法についても一人で回想するのでなく誰かとシェアしてフィードバックし合ったほうが学びが広がるであろう.

経験学習サイクル

この2つは何ら対立するものではない.例えば,リーダーシップ理論を勉強した同士でフィードバックを交換できれば共通言語がある分,正確なやりとりができるかもしれない.逆に,リーダーシップを発揮しあう場面をリアルタイムでともに過ごしたあとでフィードバックを交換するにしても,最初各人がどういうリーダーシップ改善目標を持つかについての情報が共有されているほうがいい.そうした改善目標は理論をかじっているほうが立てやすい.経験学習サイクルの4つのフェーズのうちの「抽象的概念化」から「能動的実験」のフェーズに理論をどのくらい使うか,そして「内省的観察」の助けとしてソーシャルなものをどのくらい入れるかという,それぞれのフェーズの設計の問題に過ぎない.異なったフェーズで異なった種類のインプット(理論とフィードバック)を行なって学びを深めるというだけのことなのである.

ところが,2種類のインプット同士のインパクトで比べてみると,「具体的経験」の前あるいは後にリーダーシップ理論を知るのと,内省的観察のフェーズで周囲の人たちから個別にフィードバックをもらうのと,どちらのインパクトが強いかというと,両方行なった場合であっても,これはもう圧倒的にフィードバックのほうなのである.

そうした落差の原因の一つは,理論についての経験の不足にある.すなわち,抽象的な理論を理解して,それを使って現実の現象を解釈することに慣れていないことである.

もう一つは,正しいフィードバックについての経験の不足である.多くの人はそもそも率直で建設的なフィードバックというものを受けた経験がなく,フィードバックといえば叱責か,さもなければマウンティングだと感じてきた人が多いので,リーダーシップ授業のように衝突安全性(心理的安全性)を皆で作り上げることをもって良しとする環境で,信頼できる同僚たちから建設的なフィードバックを受けると,そのインパクトが半端でないことになるのではないか.

なお,上記のような現象は社会人よりも若い学生のリーダーシップ授業でよく起きる.なぜかというと,社会人対象のリーダーシップ授業では既に社会人経験のなかでリーダーシップの成功・失敗経験や見聞は積んでいるとみなして,授業のなかで受講生が一斉にリーダーシップ行動をとってフィードバックを交換するような期間は設けず,各自の経験を振り返ることを授業コンテンツの中心に置く(堀尾・舘野[2020]の言う「経験活用型」)ので,そもそもライバル(?)としての「クラスメート・チームメートからの一斉フィードバック」の機会がないことが多いからである(なおその場合,フィードバックのしかたについては別途時間を設けるか,別の授業に回すことになる).(続く)

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