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きえつつあるのか、昭和の火

故あって八尾市に移り住み、8年目となりました。
どこの地方都市でも同じでしょう、狭い道路を路線バスが走りおじいさん、おばあさんたちが乗り降りします。
路線バスは自家用車を手放せば高齢者の方々には必要不可欠な公共交通機関です。
その光景を見るたびに思い出します。

友人の話です。

大阪の私鉄沿いの北摂の大学で、学生の通学用と周囲の歳を重ねたベッドタウンの高齢者の足のために1時間に1本しか走ってない路線バスの増幅の話が持ち上がり、大学がその友人に相談してきたとのことでした。
友人はその私鉄の子会社コンサルタントで働く営業マンでした。
強い希望を持つ大学は友人の勤めるコンサルと同系列のバス会社への働きかけを求めてきたそうです。

友人は大学ばかりかバス会社にも、それによって乗降客が増える親会社である鉄道会社にとっても、なによりも高齢化の波に呑まれて不自由な中での生活をしいられているている地域住民にとっても良いことと思い、バス会社の知り合いにその旨を相談したそうです。

しかし、社内で話が進むにつれ厄介な話を持ち込んできた馬鹿者扱いされたそうです。
学生は夏休み、春休みと乗降数に波がありしかもターミナル駅に乗降場所を作るのが物理的に無理だと。
ベッドタウンの高齢者の希望は無視だったそうです。
じゃあ、背に腹をかえれない大学は他の私鉄系列バス会社に話することも考えていると言うと、それは困るとムシのいい話だったそうです。
結局はバス会社の社長自ら担当部長とともに出来ない理由を書き連ねた報告書と共に大学まで行き説明をしたそうです。
行きすがらの車の中で友人はその社長から「君はどこの会社からメシを食わせてもらってるのか理解してるのか!」となじられたそうです。
その後どうなったかは知らないと言います。
その駅にはもう何年も近づいたことすら無いそうです。

後日譚です。
鉄道会社の敷設計画に携わる人間に話を聞く機会があったそうです。
鉄道会社の使命として地域から鉄道敷設の要望があれば前向きに取り組まねばならず、諸般の事情でかなわぬ時の代替えにバスがあるのだと。
鉄道OBであるそのバス会社社長も周知しているはずだとも。

この事を先に知っておきたかったと加えてました。
素晴らしい方もたくさんいたが、所詮はサラリーマン、可もなく不可もなく卒業したい方ばかりで、自ら困難に立ち向かい本当の夢のある世界を作っていこうなんて気概を持った男なんてもういないのでしょう、とも言ってました。

戦後復興から高度成長期にかけて新しい日本のために、と尽力してきたプロジェクトXに出てくるような鉄道マンはもういないのでしょうか。
友人はぽつり、「もう卒業だ、」と言い、五十代半ばにしてその会社を辞めてしまいました。
寂しい悲しい話でした。

昭和は遠くになりにけり、です。

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