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猫は私の心のコック(栓)

猫は私の心のコックかも知れません。
そして私の心から流れ出るのは不思議と猫の思い出ばかりじゃないのです。

毎日のようにハガキを誰かに書いています。他界した母にはアルツハイマーの進行が少しでも遅れてくれればと思い週に1枚か2枚、15年以上書き続け1,000枚以上になっていました。私には変な癖があって、書き出すと必ず通しで番号を書いていきます。だから枚数はだいたい間違っていないと思います。兄には今500枚くらいになりました。官製ハガキの時もありますが、たいていは街で見つけた私が気にいったハガキでしたためます。

このクリスマスの猫たちのハガキは師走に入り浮かれ気分の梅田の書店で見つけました。ゼネコン時代の上司の奥様にしたためます。飯田橋の本社の営業部長のその上司は国のある省庁から移籍してきた変わり種の営業マンでした。移籍の細かな経緯を聞く前に他界してしまった方です。私がゼネコンを辞めて大阪の私鉄子会社の設計事務所にいる時に私を訪ねてやって来てくれました。「おい、宮島さんよ、今の大阪での困りごとは何なんだい」それに対して北摂の遅々として進まない開発地がある話をしました。「よし分かった」と、1週間後に私はある省庁の大会議室に大阪の役所の人間といました。その上司がすべてのセッティングを行ってくれその開発地でのある建物の計画と予算が決まりました。

どうしてそんなことが進んで行くのか不思議に思われる方もいることでしょう。
当時の自治体の首長が、その上司のいた省庁出身だったからです。
その省庁を卒業して志をもって各自治体の首長として立つ方が時々出てきます。その特にはひそかに省庁を挙げて協力するそうなのです。世の中の動きのなかには偶然もありますが、多くは人間が作り出します。良いことも悪いことも人間が故意で作り出すのです。だから私は世の中にこんなことがあって当然でむしろ喜ばしいことなんだと思います。

ちなみに私は仕事に当たることはありませんでした。私がいた会社は話し合いを行うことを固く禁じた形式的なコンプライアンスを重んじる会社だったからです。でも私は、その入札の晩に新橋でその上司と二人で酒を酌み交わして仕事の本当の成功を喜べたからそれでいいんです。間違った方向に使われることなく私たちの税金の使い道が決まったからそれでよかったのです。

その上司の葬儀にはたくさんの人が来ていました。大阪の首長からの弔電も入っていました。喪主の小さな奥様が一人立っていました。お子さんのいらっしゃらないご夫婦でした。そこで初めて奥様と言葉を私は交わしました。お礼を深く深く申し上げお別れしました。それから一度もお会いしたことはありません。たぶんこの先もお会いすることは無いでしょう。毎年年賀状を書いています。とうに止めてしまった年賀状を書き、細かな字で思い出を綴っています。私の思い出で奥様は連れ合いの後輩や部下から慕われる知らない姿を偲ばれていたのでしょう。今年はご親族のご不幸があったと12月に入って年賀欠礼のハガキが来ていました。それで今年はこのクリスマスのハガキを見つけて買ったのです。

真ん中のおとぼけ顔の猫は今年あの世に行ってしまったブウニャンに似ています。左はトラに。もう1匹の白猫にはそのうち出会ったりするのだろうか、なんて考えていました。そんな私の思いは関係無く、3匹は奥様のもとにクリスマスを運んで行ってくれることでしょう。

猫たちはいつでも私に多くを思い出させてくれます。
私がいつも猫達になんでも話をしていたからでしょう。
あいつらは私の話を何でも聞いてくれましたよ。
忘れている私の思い出を吐き出させる猫はきっと私の心のコックなんだと思います。



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