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京橋グランシャトービルからカラオケビル、新大阪そして植木等

(写真は本文と関係のない私の好きな鶴橋卸市場の商店街です)

昨日の私の note で大阪京橋の事を思い出していたら、note 仲間と勝手に思っている私の娘でもおかしくない年齢の多恵さんからのコメントにグランシャトービルの名前が出た。
いかにも京橋らしいパチンコ、ナイトクラブ、サウナが入ってる総合レジャービルである。
JR京橋駅北口改札を出て京阪乗換口の反対に出て、左側ほぼ目の前にある。

私がいたゼネコンは一昔前にここの関係の発注でビル建設の仕事を請負い、一悶着あったと聞いており、鬼門と思ってのだが、、

実は何度かここのサウナに行っている。
仕事中に行っている。
いつも二日酔いだった。
証拠を残さぬよう、石鹸もシャンプーも使わずにサウナと水風呂を行き来して風呂に浸かって「さあ、戻るか」と何事も無かったかのように会社に戻った。

三度目の正直である。
その日も頭をスッキリ切り替え、さぁ上がろうと思いきや見覚えのある人間が入って来た。
設計部長だった。
「ヤバ、」
10年選手でいたならばともかく駆け出しの営業マンにとっては雲の上の人に近い存在の部長だった。
気付かれずに先に脱出したのだが、それでグランシャトーとはおさらばした。

それでも二日酔いの日々は続き、もっと危険度の低い作戦を考え、会社のビルの並びにあるカラオケビルに昼休みに昼飯を食わずに一時間時間を過ごした。
歌も歌わずに1時間熟睡して会社に戻った。

いつ行ってもガラガラだった。
ある日チェーン店でないこのカラオケ屋の経営者に昼に弁当を置く提案をした。
カラオケはそれほど好きではなくカラオケ事情に詳しくはなかったが、当時そんなサービスはなかったと思う。

悲しい営業マンの習性なのである。
翌週からカラオケランチは始まり、しばらくすると私の休息場所ではなくなった。

タダ券をずいぶんもらったが、ここともおさらばした。

それからしばらくは移動中の電車、車の車内で短時間の睡眠を積み上げる技を身につけたのだが、キョーレツな二日酔いの時には新大阪駅まで足を延ばした。
駅ビルでカプセルホテルをJRが経営しており、二時間千円くらいで使えたと思う。
シャワーを浴びてここでも熟睡した。

ゼネコンの営業マンの仕事は裁量労働制だと思っていた。
そんな契約を会社と結んでいたわけではないが勝手に裁量労働制を取り入れていた。
24時間365日に近い仕事だった。
死語となった(と思う)モーレツサラリーマンなんてのに近かったのかもしれない。

でも、嫌いな言葉ではなかった。
そんな仕事が嫌いではなかった。

昭和の男、植木等が好きだった。
植木等のサラリーマンが好きだった。
気持ちは植木等で理想は植木等であったが、いそうだけど絶対に存在しない。
だから、当時のサラリーマンは皆、植木等が好きだったんではないだろうか。

今の若いサラリーマンの目にはどう映るんだろうか。
ありえない存在が普通の人間じゃないのかもしれない。
それか、もしかしたらもっと現実的なのかも知れない。

あの頃はいい時代だったという言い方をしてしまうが、これからはやめようと思っている。
懐かしさはあってもいいだろう。
でも知らない人間は比較ができないから、知る今を基準にしなければならないと思う。
今を基準により良い時代を作り上げてくれたらいいと思う。

京橋グランシャトービルからこんな真面目な話で着地させるのも大阪京橋の力かも知れない。

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