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猫との会話

我が家のブウニャン、猫年18歳である。
人間年齢に換算するととうに後期高齢者の年齢にいる。

子どもの頃から猫は家にいた。だから猫が好きとか嫌いの以前に当たり前の存在だった。田舎育ちの両親は、病身の兄のためにいろんな動物を身近においてくれた。犬、猫、鳩、チャボ、ジュウシマツ、どれも可愛く世話はしたのだが、彼らの死に立ち会うのが辛かった。

だから父が亡くなり、愛知から連れて帰ることにした時には覚悟をした。
出来れば兄弟のトラとも、このブウニャンともお互い空気の存在で最後まで付き合いたかった。でもこのブウニャンもほかの多くの猫に漏れることなく腎臓が悪くなった。いま、月に二度動物病院で点滴を受けている。

盛夏の暑さにはもろに影響を受け、食欲は落ち体重は3キロ台にまで落ちてしまった。それが今、4キロ台に戻りやれやれと胸をなでおろしている。
一度ともに生活を始めてしまえば家族である。人間と何ら変わることは無い。彼女たちは全く見た目が高齢者ではない。だから階段の昇り降りの姿や、排泄の失敗を見て驚く。どんな生き物でも老いと死を免れることは出来ないのだと悟るのである。

いずれやって来る最期までともに普通の日々を送っていくつもりである。

動物病院の先生はやはり動物が好きなようで、院内を自身で飼っている老齢のレトリバーをウロウロさせている。優しい奴でそっとブウニャンの様子を伺いに寄りスッと離れていく。ブウニャンも怖がる様子はなくまるで犬の医師のような存在である。

ここに来てもいつもいろんな事を考えさせられる。人間の老人と何が違うのだろうか。猫や犬がただ愛おしむ愛玩の対象であれば、それはペットであろう。一方向のただの愛玩であるならばただのペットであろう。しかし、彼女たちにも意思表示はあり、私たちと同じ言葉を使うことは出来ないがある程度会話は成立している。だからなんの変りもないように思う。

ひょっとして猫可愛がりをしない、いつも普通の付き合いの私にはいろいろ言いたい事があるのかも知れない。でも、たぶんこの男には何を言ってもダメだと思っているような節がある。互いに思うが口にしない、口に出来ない。互いに自分の都合で相手を思い感じる。
こんな会話で成立する猫との共存が幸せにもつながっているのかと思ったりする。

そんな付き合いでも猫は可愛いですよ。


点滴のあとの絆創膏
もう病院には行きたくないと訴えているのかも知れません

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