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冬をにる

大寒、少し寒い日が続く。これから二月に向かい昔のように寒かった本当の冬はやって来るのだろうか。『温暖化』という言葉が広く浸透している。この『温暖化』という言葉と共にこれから旬というものがずれてくるのであろうか。

いや、ある意味本当の旬というものはすでにずれているのかも知れない。南北に長い日本は流通と冷蔵技術の発達によって日本の南端の旬が東京大阪でも旬となる。その時期にそこにいなければ口に出来ない食材というものが本来の旬であって、そういう食材が少なくなっているのではないだろうか。

私の旬のものはその時期に安価に手に入る美味しいものであって、高価な希少価値のあるものではない。日々口にする食材である。
お母さんが日々頭を痛める料理は時期時期の食材を使うもので、一年を通してみたらルーチンになっていてもいいのではなかろうか。そして、年月を重ねておふくろの味となるのではないだろうか。

これから本格的に寒くなると、私の母は安く出回る白菜を使っての水炊きをよくした。その時はあまり嬉しくはなかったのだが母に教えられた白菜の本当の旨味が分かる年齢に気がつけばなり、今、母に感謝している。そんなのが旬の味でおふくろの味だと思う。
まだおふくろの味をそれとは気づかずに幸せな時間を過ごしている若い人たちには「またか」と言わずにお母上の煮た冬を味わって欲しい。そして、憶えておいて欲しい。
いつの日かきっと感謝し、懐かしむ日が来るだろうから。

本当に温暖化が進んでしまってこんな時期にでも九州あたりからバナナなんかが大阪のスーパーにやって来て、「今年の鹿児島のバナナは出来が悪いなぁ」なんて会話が当たり前になってしまったら旬もおふくろの味ももっと変わっていくのだろうか。
そんなのも多様性だと言って受け入れられるのだろうか。


    先日投稿した『成人の日を前にしておもう』をnote社会さんに紹介して頂きました、      ここにご報告いたします


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