見出し画像

熱い暑い夏のおもいで(その2)

入社三年目の初夏、私は営業所のぬるま湯生活から脱出した。
京都南部、大阪に隣接する町での大手電器メーカーの研修施設の新築工事現場に着任した。
設計施工の工事で大阪支店でも力を入れているメインの現場の一つだった。

当時の現場事務の仕事は事務作業以外の仕事がメインだった。
いわゆる何でも屋であり、地元からの苦情や発注者との対応、現場作業員の安全・労務管理、現場作業の手伝いも行い、その他もろもろの雑用をこなした後に、原価管理の本来すべき仕事は待っていた。

朝一番は現場事務所1階の作業員さんの詰所の掃除からであった。
ドロドロの床の土とごみを掃き出し、テーブルを拭いた。
そして、トイレ掃除、町中であれば仮設といえども下水につないで水洗トイレを設置するのだが、小高い山の中腹にある現場のそれは汲み取り式の昔ながらのトイレだった。
そして、どう使えばそうなるのかわからなかったが必ずそのトイレを詰まらせるヤツが毎朝いた。
もちろん大の方だ。
そのたびに主任から「おーい、宮島~!」と呼び出され、その声を聞くと事務所の裏から専用の竹棒を持って行き、突いて貫通させるのが私の仕事の一つだった。

そんな雑用は数限りなくあり、肝心な原価管理の仕事を始めるのは夕刻もずいぶん過ぎてからであった。
毎朝8時の朝礼、7時過ぎに現場に入った。
毎日が朝から同じ事の繰り返しであった。
まあまあ歳の近い建築屋の先輩がいつも現場の仕事を終わらせてから翌日作業員に手渡ししなきゃならない施工図面を描いて遅い時間まで残っていた。
その先輩が毎晩途中の駅まで車で送ってくれた。

月一度の締め日に合わせて業者さんの請求書や契約書類をまとめ、支払予定のまとめや竣工時の精算予想をしなければならない。
しかし本来の仕事はいつも後回しになり、休日にひとり現場に行くこともしばしばであった。

日中、現場の手伝いをし、ドロドロの汗まみれになり建築屋の手伝いをするのは知らぬ事ばかりであり、建ち上がっていく建物を毎日目にすることは楽しみでもあった。

しかしながら手書きの台帳に数字を書きこみ、縦横の合計を電卓で叩くことに慣れることはなかった。
パソコンの進出でいずれ無くなるものであろうと思えばなおさら力は入らなかった。
現場での一年生と二十年のベテランの先輩との仕事には、過程のスキルの差は感じたが結果にそれは反映されるものではなかった。
さほど違いは無かったのである。
これも自分の仕事とはずっと思えなかった。

この記事が参加している募集

#夏の思い出

26,395件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?