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れもんのおもいで

ペンにはずいぶん前からこだわりがある。

持ちやすさと書きやすさ、それから持ち歩きやすさである。

サラリーマン時代、営業駆け出しの頃にある大手電機メーカの秘書課長に「私たちは初対面の人と会う時に見るポイントがあってね」と教えてもらい、いくつかのポイントの中で「なるほど、」と思ったのは靴のかかとであった。
革靴のかかとがすり減っているのはいけない、どうも貧乏くさく見えてしまう。
私の帰り姿に腰を折って頭を下げるのは靴のかかとを見るためだったのかも知れない。

私はどんな筆記具を使っているかが気になる。
ボールペンか、万年筆か、シャープペンシルか、それが普及品かこだわりを持ったものなのか、気になった。
それに手帳が加わればだいたい相手の見えない内側が推測できた。

自身のこととなると、若い私は年齢と立場を出すぎないペンを持ち歩いた。汗をかく夏場はシャープペンシルが多かった、冬は万年筆。
ボールペンは書きやすい愛用品をいつもカバンに入れていた。
急な書類の記名や記述はボールぺンがやはり好まれたからだ。

男の身だしなみにも胸にさすペンはなる。
気がつけば死ぬまで到底使い切れないだけのペンが私の机の引き出しで、来ぬ出番を待っている。

山ほどペンを持ってしまったのには、よくよく考えたらもっと違う理由もあった。


ゆえあって八年前に大阪の八尾に居を移した。

JR八尾駅まで自転車で7,8分、長く通った道沿の畑のすみにレモンの樹が植えられているのに気づくまでにずいぶん時間がかかった。

恥ずかしながら日本国内でレモンが出来るのは瀬戸内などの温暖な気候の風光明媚な場所だと勝手に決め込んでいたから驚いた。

知れば気になり、毎日自宅と駅との行き来の途中レモンの濃い緑が鮮やかな黄色に変わっていく姿を観察した。

黄の濃さが増すごとに私の頭の中で『レモン』は『檸檬』へと変わっていった。

時間は30年近く前に飛ぶ。

社会人になって私はゼネコンの営業マンとなった時のことである。
二度目の京の都への赴任だった。
京都営業所は右も左もきらびやかで歴史ある観光地京都の真ん中にあった。

しかし、私の営業エリアは日本海に近い北の京都と、奈良の県境に近い南の京都であった。

キラキラした赤い光青い光とは程遠い京都だったのである。

会議のため、たまに立寄る京都市内のお気に入りの場所は河原町にあった丸善であった。
梶井基次郎の『檸檬』の舞台になった丸善京都本店は、私にとっても梶井と同様に儀式の場だったのである。

格好付けにいつも文庫本か新書本を持ち歩いていた高校時代、文庫本の薄さと題名の難しい漢字が目にとまって買った『檸檬』、内容よりもいまだにその表紙の漢字『檸檬』が記憶に残っている。

開店直後の人のいない本棚の間を歩き、センスの良い文房具をながめ、手に取り、安いボールペンやシャープペンシルを必ず一本求め会議に向かった。

向かぬ営業をし、辛い会議に挑むための私の儀式だったのである。
それからだ、必ず本屋では本と一緒にペンを求めるようになったのは。
いつも不安と恐怖を感じながらサラリーマンを演じていた。

『レモン』が『檸檬』に変わる頃、若かかりしあの頃の酸っぱい感情がよみがえる。

引っ越しをして久しぶりにレモンの樹が気になり自転車を走らせた。
いつもの場所にレモンの樹はなかった。
根こそぎ抜かれていた。

私はレモンの樹に呼ばれたのかも知れない。

なにかが終わったような気がして隣にあった藤を写真に収めて自宅に向けて自転車を走らせた。

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