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人の人生、そして私の人生(うらうらとした春の日がいざなった)

人の数だけ人生があり人の数だけ苦労がある。

ということは同じ数だけ楽しみもあるはずである。

死を目の前にした人もいる、偉そうに物は言えぬが、死んだほうがましだと思うことはこれまで何度かあった。

なぜこんなことを書くのか、人はみな生きていくために生まれ、生きているからだ。

さらっと、あんたの文章いいね、と言われるのがいいし、言われたい。

なんとなく元気の湧く文章、その時だけでも嫌なことが忘れることの出来る文章を書きたい。

あいつがまた愚痴をこぼしてるとか、なんか言うとる、でもなんだかおもしろいねと通過していってもらいたい。

そんな文章が書けたらいいと思っている。

いろいろあるよ、それが生きている証拠だよ。

だから今日も元気に頑張ろう!


いつもの松山市公式俳句投稿サイト『俳句ポスト365』への投稿文章である。

二年ほど前の兼題『うらうら』、春の季語である。

この『うらうら』も私の記憶の引き出しを引いたのである。


◆今週のオススメ「小随筆」 お便りというよりは、超短い随筆の味わい。人生が見えてくる、お人柄が見えてくる~♪

誰にでもなんでもないようなことが心に残ることがある。

 もう10年も経つだろうか、父との静岡へ向かう道中でのことである。 静岡市内の兄の主治医のもとへは豊川から自動車で二時間ほどの距離であった。

 東名高速沿の木々の緑は新緑で眩いばかりに光り、暖かな日差しは車内に冷房を入れさせること無く窓を少しだけ開けさせた。 

うららかな陽気の春だったのである。

 なにかが始まるような予感をさせるのが春のうららかさであろうが私にはそうでない事が分かっていた。 

自身の体力と能力の衰えを感じ出した父はどうにも出来なかった兄を私に引き継ぐために私を運転席に座らせていた。 治療の道など残されていない兄の生命維持のためのルーチンの作業を引き継ぎたかったのである。 

父は何も言わなかった。 

道すがらサービスエリアで父は静岡おでんをうまそうに食べていた。 

まだ衣替えなどするわけもなく、母の手編みの毛糸のチョッキもおでんもうららかな春の日差しとは縁遠いものであった。 

その先待ち受ける艱難とは裏腹な温かく柔らかな日差しを私は受け入れた。

 その時、兄と生きていくことを決めた。 

これが厳しい北風の吹く中の道中であれば受け入れてなかったかも知れない。 

なんでもないような春の陽射し、うらうらとするなんでもない陽射しを私の肌は覚えているのである。 /宮島ひでき

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