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ある小さな決意

また夜の仕事を始めている。
ながら仕事で出来る仕事を探していた。
障害者の介護の仕事は自分に向いていた。
たぶん建設業の営業も向いていた。
定石の無い、その場の咄嗟の判断が必要な仕事が向いている。
エッと思い、背筋が凍るような思いも何度かしたが、何とか乗り越えて来てしまった。

そして今、副業を、どちらが本業か副業か分からない仕事を掛け持ちしながらの生き方をしている。
商業文は難しいが、現在物流に関係する企業のコラムを書かせてもらっている。
いろんな意味で世の中の流れをまともに受けている業界である。
トラックを動かす動力は転換を迫られており、逃げ出すことを許されない。
2024年問題はもうそこまで迫っている。ホットな業界であり、世に多くを訴え伝えなければならない業界でもある。
そんな世界に片方の足を突っ込みながら、自分の都合に合う仕事を探していた。

そんなこんなの私の生き方を見て来た都市銀行からゼネコンに移籍して来た大先輩がずいぶん前から早く介護を卒業しろと言ってきていた。私の半生を知る大先輩は私に自分の人生を家族に捧げて終わるような生き方をするなと言い続けてくれた。

そんなつもりは全くなかったのだが、私をよく知る大先輩の目にそう写ったのは自然なことなのかも知れない。
私は母に似ているのかも知れないが、誰かのためを先に考えて自分は二の次でいいと思い仕事をし、生きて来た。

でも、もうそんな年齢ではなくなっていた。気がつけば残された時間はそうは長くないと気付いたのである。子どもの頃から漠然と物を書いて生きていければいいのにな、と思っていた。それは障害を持つ兄がいるというのが大きな理由であったと自分で分かっている。兄を中心に考えて生きることを止めて自分を中心に生きていこうと思いながらも結局その原動力は「誰かのことを考える」ことにあったのである。

世の中は変わり、誰でもその気になれば自分の文章を人の目に晒すことが可能な時代になった。普通のサラリーマンに嫌気のさしていた私に方向付けをしてくれたのはこのネットの世界である。そこで文章を書き、生きる糧を得る。これが私の求めて来たものであるはずなのに、今なぜか不完全燃焼を感じる。

営業職を辞め、飲み屋をやり、介護をやり、商業文章を書き、なぜ不完全燃焼なのかを考える。
私が本当にやりたいのは何なのであろう。それは『研師ヒデ』かも知れないし、『立ち飲み屋マル』かも知れない。『コインロッカー係』もありである。そうなることを許されない私にとって理想の生き方なのである。
ならば今からもうやることの出来ない生き方をもう一つの世界で実現していってやろうと思うのである。

夜に仕事し、空いた時間にまた仕事をする。生きるために仕事をする。新しい世界を知るために仕事をする。そこには終わりはなく、終わった時にはたぶん私の本当の終りが来ると思っている。
愛知にいる兄貴の顔を見に行き、放置竹林整備のNPOの手伝いに行き、合気道の稽古をして、教え、気が向けば昼間から酒を飲む。
そして頭を巡らせるのである。
そんな人生を続けていこう。
京都西山は善峯寺の麓に行く途中、そう決意したのである。



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