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研師(とぎし)ヒデの話

刀が泣くのを聞いたことがありますか。振った刀身が「ヒュン」と空を切るあの鳴く音じゃないんです。刀は美術品ではありません。刀は博物館に収められるためにこの世に生まれたんじゃないんです。
武具であり、人を斬るために多くの男たちの手で作られてきたのです。刀鍛冶は熱い玉鋼たまはがねに自身の命を削り吹き込み、塗り師は「斬」との対称に存在するかのようなさやを彩り刀剣に一時の休息を与えんがために丹精込めて何層にも漆塗りを施してきたのです。多くのかざり職人たちもその一個一個の柄尻つかじり目抜きめぬきつばたちを「斬」を成就するために黒金くろがね赤金あかがねを刻み磨き作り上げてきたのです。
男たちの魂がまとまり「斬」のための一本の刀となる。男たちが「斬」のため魂を込めて世に送り出したのです。泣き出してもおかしくはないと思いませんか。そんな刀がこんな世の中に存在しなければならないのですから。

ヒデがどうやってしのぎをしているのか、知る者は誰もいなかった。日々を飄々と生きるヒデは実は研師であった。裏の世界で名の知られる本当の研師であった。世には表に出せない本当の刀剣がある。それが趣味の一刀であろうと実益の一刀であろうとヒデには関係なかった。法外の金額でヒデはその研ぎを請けていた。ヒデの腕は確かで、これほどと思えるほどの数の刀剣がヒデのところに集まるのであった。
ヒデは刀と会話ができたのである。だから刀を研ぐこともでき、それ以上に刀の扱いも上手かった。ヒデは抜刀の名手でもあった。稽古らしい稽古をしたわけではなく、これも刀との会話であった。刀の刃には進みたい道がある。振ってもらいたい道がある。会話の中、ヒデはそれを進めるだけなのである。
でも、それもこれも誰も知らないヒデの姿であった。
そしてもう一つ、ヒデには誰にも語れぬ秘密があった。

研師(とぎし)ヒデの話はここから始まる。

刀剣たちとの会話の中から生まれる妙な納得のいく不思議な話がここから始まる。

刀は人を斬るための物、研ぎは人斬りのためにある。




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