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生きるためにやって来た仕事のはなし

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なかなか理想を仕事とすることは難しいもの、食べるため、生きるためにしてきた私のサラリーマン人生です
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2021年11月の記事一覧

ケンカをするわけ

陽は早く落ち、冷たい空気が襟元にまわり出すこの頃、五十年も前のことを毎年思い出す。 子どもの頃からケンカは好きではない。 しかし、男としてこの世に生きていると嫌でもそんな場面にぶつかることもあり、弱いものいじめを見ることもある。 今は自分のことは我慢できるようになった。 でもまだ他人のこと、お年寄りや女性、弱い立場の人間を困らせる、そんな場面に遭遇すると黙っていることは出来ない。 小学二年、この頃人を殴ると拳は痛く、腫れることを知っていた。 障害を持つ兄と二人で歩いている

運転手の宮崎さん

過去にお世話になった方、忘れられない方、忘れてはならない方がいる。 そんな方のうちのお一人、ゼネコン時代の京都営業所で運転手をされていた宮崎さんに三十年も前のこんな季節に大阪御堂筋、大阪ガスビルの裏の美々卯でうどんすきをごちそうになったことがある。 宮崎さんは私がサラリーマン人生を歩み出したゼネコン京都営業所の所長専属の運転手さんだった。 所長はそのゼネコン創設メンバーのうちの一人の子息であった。 京都は建設業界では特殊な地域で、多方面の人種との付き合いが出来なければ責任者

寒い朝におもいだす

朝起きると必ず窓を開けて部屋の空気を入れ替える。 季節は関係なく習慣となっている。 そしてその時その時の空気が私にいろんなことを思い出させてくれる。 この冷たい時期に思い出すのは十九、二十で働いた魚市場でのことである。 愛知のさして刺激の無い田舎で育ち、好まずして障害を持った兄と生活を送り自分の将来を漠然と考えた。 考えれば考えるほど深みにはまり、気がつけば高校を卒業して大学進学は放棄して知人に頼って豊橋の魚市場の仲買で働いていた。 朝4時に仕事は始まり、午後1時に市場内

あなたの知らない自動販売機の世界

日本経済新聞電子版をだいたい毎朝目にしている。 営業マンをしていた頃の癖である。 ザッと目にしておかないと落ち着かないのである。 『くらしの数字考』ってコラムで同じ飲料がなぜ販売機によって値段が違うのかという誰が考えても当たり前の内容の記事が目についた。 私がゼネコンに入社した1985年、まだ昭和のこの頃は海洋汚染の原因の一つともされるペットボトルはまだ登場せず、缶の飲料が主流であった。 当時の建設現場の事務所には必ず飲料の自動販売機があった。 職人さんたちに缶コーヒーや

ひととの付き合いのふしぎを考える

季節のせいか、ここ最近ずっと昔のことばかり思い出していた。 まだ誰かが私を迎えに来ているわけではない。 最近、久しぶりに京都に行ったこともあり、まだゼネコン時代の30代、京都で夜寝ることも惜しみ仕事している時代を思い出した。 その時、私は大阪支店営業部にいた。 いつものように気まぐれに会社は発注者の業種別に担当替えをした。 生産施設グループ、教育施設グループのようにだ。 私は商業施設グループに入れられて、いつも会社にいるのが好きな部長の下についた。 スーパーマーケットが相手