マガジンのカバー画像

生きるためにやって来た仕事のはなし

86
なかなか理想を仕事とすることは難しいもの、食べるため、生きるためにしてきた私のサラリーマン人生です
運営しているクリエイター

2021年9月の記事一覧

無くならなくていいと思うもの

こんな季節だったと思う。 蒼く高い空を憶えている。 標高の高い地の強い紫外線が私の頬を刺していたのを憶えている。 もう50年近く前に岡山県の某市まで行った。小学生六年の時に一人で新幹線と伯備線を乗り換えて行った。年子の兄が脳の手術を受けた。かなりグレーな合法な手術だった事をほんの数年前に教えてもらった。その時母は兄のために必死で前後の見境がついてなかったと私に教えてくれた人は言った。今さら聞かなくともよかった。むしろ聞きたくなかった。 大阪の某大学病院を追われて岡山県の病院

食に付随する発見と発想

仰々しい題名であるが『ポテトチップス』の話である。 ゼネコンの営業時代に、京都北部の工業団地に進出するというポテトチップスの会社に出入りしたことがある。 ゼネコン時代、いろんな業界と付き合いをさせてもらい新しい発見がいろいろあった。 中国地方が本社のその会社はその本社工場から全国に製品を配送をする際には、高速道路を配送ルートに選ばないと言っていた。 事故が起きてしまったら全く配送時間が読めなくなる、との説明だった。 現在よりも交通事故が多かったとは思うが、危険を見越してそん

ウインナ・コーヒーのおもいで

誰もが一度は経験しているのではないだろうか。 喫茶店のメニューを目にしてそこで止まってしまった事が。 豊橋の喫茶店のメニューではウインナーコーヒーと明記されていた。 それでは誰もが一度は勘違いするだろうと思う。 値段が高いから一度も注文したことはなかった。 『ウィーン風』コーヒーと知ったのはずっと後の事であった。 社会人初めての赴任地は京都であった。 ゼネコンの出張所の所長は私と同期入社の男の父親であった。 仕事の出来る怖い所長で社内に名が通っていたが、私には優しい親父の

竜田姫がみてきたもの

六年も前になる、法隆寺にほど近い、竜田山のふもとの診療所に通っていた。 どこかが悪かったわけではない。 省エネルギーの新しい設備の設計提案の営業に行っていた。 それが私のサラリーマン人生最後の仕事だったのである。 日進月歩の技術の進歩で医療施設はすぐ陳腐化する。 そんな技術革新のスピードに技術屋は日々勉強して追いついていかなければならない。 業務に追われながらの自身の勉強の毎日で大変である。 私は口だけの営業マン、のんきなサラリーマン人生を送っていた。 少し足を伸ばせば法