マガジンのカバー画像

日々考えることのはなし

488
毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
運営しているクリエイター

#人生

顔に傷あるけしぼうず

この note にやって来て約二か月、ずっと自分の記憶の整理をしていたように思う。 母の半生は兄の出生を悔恨し続け、私には「それでいいのか、あなたの人生をそんなことだけで終わらせてしまっていいのか」との疑問を拭うことはなかった。 父はお気楽に見えた、当時高額な兄の治療費を稼ぐと長く海外に勤務し、すべては母に任せきりであった。 父もゼネコンにいた電気・機械のプロであった。 長い時間は人の記憶をぼやかし、曖昧にさせる。 それは良いこと、悪いことの両面を持ち合わせる。 そしてそれ

初心に帰る日

1990年代に入っていた。 もうバブルは終わりかけていた。 以前とは違う数年来の異常な暑さを産業革命から始まった私たち人間の化石燃料使用による代償であると言われはじめた時期だったかもしれない。 その頃、私は毎日近鉄電車を鶴橋で乗り換えていた。 朝から鶴橋駅には蒸れた空気とこびり付いてもう剥がすことのできない肉を焼いた夜のにおいがへばりついていた。 二日酔いの頭を抱え一度改札を出てガード下の立ち食い蕎麦屋で酔いを覚そうと熱いうどんをすすっていつも後悔した。 玉のように流れる汗は

深まり行く秋

人生100年なんて嘯いた奴がいるそうだが私に限ってはそんなことはあり得ないことと思っている。 ベッドの上で100歳まで生きて何の意味があろうか、生きるって意味が分かっているのであろうか。 障害を持つ兄たちはいつも前を向き歩き行く。 ただ歩くだけだがその努力は並大抵ではない。 まだまだ元気に見える兄であるが、子どもの頃から多量の抗てんかん剤を服用させられ、内から見た身体は決して健康とは言えない。 そんな兄たちであるが、間違いなく日々を懸命に生きている。 それに比べ、健常とい

秋の通天閣

私の日常の風景となってしまった通天閣、阿倍野筋にかかる歩道橋からいつも立ち止まり見やる通天閣。 もう30年も過ぎているのに、なんの感慨も無く通過する大阪人にはいまだなることは出来ないのである。 初めて行った通天閣、30年前通天閣に酔っ払ってどうしても行ってみたくて京橋から深夜タクシーで行ってみた。 電気は消え、人通りの絶えた通天閣の真下でタクシーを降りた。 まだそんな時代だったのである。 新世界は今のようになってはいなかった。 近くの交差点ではシャブ売りの兄ちゃんが車に向

秋を感じる午後

秋が来た。 空気は乾き空が高い。 駅までポツポツと歩き、考える。 人生において設計図というか、プロットのようなものを私も持っていた。 しかし、アクシデントの連続でそのままは進んでいない。 その都度の軌道修正である。 それが人生ってものなんだろう。 誰もが同じような経験をしながら、その場その場を切り抜けていくのであろう。 そして耐性を身につけていくのであろう。 生きてきたここまでを否定したくはない。 済んだことに愚痴は言いたくはない。 すべてを肥やしにして前を向いて歩きたい

ある女の子の人生(そして、人の人生)

チィ子は小学三年生、去年の秋にお父さんの仕事の都合で隣町から引っ越してきた。 転校してからまだ友達はいない。前の学校でも友達らしい友達は一人もいなかったから「まあいいか」として、心配する母親にも嘯き毎日一人で学校に通った。 チィ子の通学路に大きな白い二階建ての家があった。そして、その二階からいつもチィ子を見下ろしている同じくらいの歳の男の子がいることに気がついていた。 チィ子は気がつかない振りをして雨の日も風の日も毎日同じ時間に大きな白い家の前を通った。七月に入り初めての夏休

早朝におもう

夜が明け、また一週間が始まった。 久しぶりに飲み過ぎて頭が重い。 昨日の朝、いつものように仕事を終えて阿倍野での稽古に向かった。 そして、午後にも他所である稽古に向かった。 所属組織での定期の稽古会、毎回違う師範が指導する。 私の指導もあった。 そんなわけで付き合いもあるが、気になる先輩の指導を見たい好奇心もある。 有意義な二時間を過ごし、誘われるがままに心斎橋の飲み屋まで行く。 そこでは人の話を聞き、考え、楽しくは流れた。 そして、法隆寺に住む仲間とともに帰路についた。

深夜の訪問者

夜中にふと目が覚める。 いつもと違う気配を感じる。 甘い吐息を耳元に感じ目が覚めてしまう。 日中、等間隔で背後から歩かれるのに気持ちの悪さを感じて、不自然さを感じさせないように立ち止まり、私の先に行ってもらう。 それと似た気配でもある。 殺気はない、寝る前に笹沢左保の『木枯し紋次郎』を読みかけていたからだろうか、気にし過ぎである。 すると、耳元の息が胸の上に移動していく「なんだブウニャンか」、愛猫ブウニャンが目を覚まして私にすり寄って来ていた。 往年の元気なトラは体重が1

胃の痛みがおしえてくれる

加齢とともにカラダのあちらこちらから悲鳴が聞こえて来る。 しばらく無かった胃の痛み、加えて食道に胃液が込み上げて来るのがわかる。 加齢とストレスだろう。 以前のように毎日ではないのだが夕刻に近づく時間に痛み出すことがある。 現役の営業マン時代、「お前たちが行動するとそのたびに大震災級の事件が起きる」と支店長に言われたほどキョーレツな上司とともに行動した時期があり、その時はいつも会社で支給された胃薬をカバンに入れていた。 一緒にいること自体が苦痛でストレスであった。 その頃の痛

梅雨とトラック

仕事でトラック販売業の方々と話をする機会がある。 雨が降ろうが風が吹こうが物流を止めるわけにはいかない。 災害復旧で活躍するのはトラックであり、今回の流行り病でも生活必需品の輸送は止まることはなかった。 いや、止めることは出来なかったのである。 そこは3Kの世界である。 危険、汚い、きつい、の3Kの世界に流行り病の感染の危険も加わり4Kの中を荷を滞らさせること無く働き続けてくれた。 なんだか新しいテレビの画像の世界のようである。 そして、このトラック運送業のほとんどが中小