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秋の通天閣

私の日常の風景となってしまった通天閣、阿倍野筋にかかる歩道橋からいつも立ち止まり見やる通天閣。

もう30年も過ぎているのに、なんの感慨も無く通過する大阪人にはいまだなることは出来ないのである。

初めて行った通天閣、30年前通天閣に酔っ払ってどうしても行ってみたくて京橋から深夜タクシーで行ってみた。
電気は消え、人通りの絶えた通天閣の真下でタクシーを降りた。
まだそんな時代だったのである。
新世界は今のようになってはいなかった。
近くの交差点ではシャブ売りの兄ちゃんが車に向けて手を振ってくれた。
大阪市が世界を相手にし、観光を誘致出来るような女性が独りで歩ける街にはまだ近づいてさえいなかったのだ。

隣接するあいりん地区は労働者の街、朝早くから動き出す街なのである。
寝不足も二日酔いも翌日の肉体労働には堪える。
生きるために皆、次の日に備えるのである。

生ぬるい人生を送って来たな、って思った。
朝から晩まで上司に、会社に追われ仕事をするのではなく、させられている、それでも振り返ることも出来ないほど仕事があった。
与えられたことをやり、それ以上を考えず、それさえこなしていれば毎月の給料は銀行に振り込まれ、家族の生活は守られ、会社という大きな組織の歯車としてひたすら回転し続ければよかったのである。

遡ること30年前、その時にサラリーマン人生に見切りをつけていたのである。

それから30年間近く家族の介護、看病とあまりに多くのことがあった。
ずっとサラリーマンという鎧に身を守られて生かしてもらってきたのである。
そのサラリーマン人生を卒業した今、私はその30年間の人生を無駄とは思いたくはなく、ある意味起点ともなった深夜の通天閣を忘れることが出来ないのである。

人の生き方は様々である。
上手なヤツも下手なヤツも、運のいいヤツも悪いヤツも、ズルいヤツもそうでないヤツも。
それぞれ皆、間違いでなないのだろう、全てが一様では世の中は成り立つことは無いのであろう。

そんな人間たちをずっと見ているのが通天閣だと思っている。
あの晩からずっと私を通天閣は見てくれていると思うが私はいまだにこの大阪を終の棲家には思えないのである。
旅の果てでこと切れるかも知れないが、ここが私のゴールだとは思えないのである。

通天閣はきっと私のそんな心の内を知っているに違いない。

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