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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2022年12月の記事一覧

クリスマスは関係なく

クリスマス、息子はまだサンタクロースの存在を信じていた(であろう)頃に私はいつも家にはいなかった。仕事を理由にまっすぐ家に帰ることは無かった。時はバブル、仕事は両手からこぼれ落ちるほどあり、会社はまだ残業時間を申請できる私たちの残業代をニコニコして払ってくれた。それで仕事が回るならば安いものだと会社は考えたのであろう。働き方改革などまだ空気中のチリにもなっていなかった頃だった。 じゃあ、この頃私はイケイケの企業戦士だったかというとそうじゃない。生き残ることにただただ必死であ

日記のような、びぼーろくのような(2022.12.21京都大原野のなんでもない日常)

NPO法人 京都発・竹・流域環境ネットと付き合いを始めてもう10年以上になる。 生命のもととなる海を豊饒に保ち、私たちの子ども達、私たちの未来のためにこの財産を当たり前に残すための一翼を担うことが出来るようになろう、とスタートして京都府下、南部からスタートし、北部の宮津、舞鶴、そして京都市内の嵯峨嵐山、大原野と活動の拠点は移って来た。 放置竹林なんて言葉が出てきてそれほど時間は経っていないと思う。私たちが子どもの頃、ほんの40年、50年ほど前には「サオや~、青ダケ!」という

ふたたび最近思うこと

この頃昼時に用足しに出かけることが多い。寒いこの時期、腹が減ったら温かいものが恋しくなる。 北風の吹くなか自転車で近鉄八尾駅近くまで行った。用事を済ませて近鉄高架下の椅子のある立ち食いうどん屋に入った。 カレーうどんと白ご飯を頼もうと券売機をジッと見るが、少し前まであった白ご飯の押しボタンが空欄になっている。軽い衝撃を受けてカレーうどんのチケットをカウンターで出しておばちゃんに尋ねると「なくなった」と一言。どうも効率を考えて作り置きできるおにぎりだけにしてしまったようであった

最近思うこと

春、浅い緑は漫然と生きる私たちに活力を与えてくれる。 若い緑は光り輝く。 夏、強い陽射しの木漏れ日は私たちに安らぎを分け与えてくれえる。 濃い緑は強く厳しさも持つ。 秋、樹々の変容は私たちに好奇心と想像の力を湧き立たせる。 変わり行く緑は優しかった。 冬、樹々は葉を落とし休息に就く。 残る緑もおとなしく会話はやめてしまう。 不思議です。この歳になるまで樹々の本当の緑を見ては来なかったように思います。そして今やっと緑を見ているような気がしています。同じ樹の同じ葉でも一年

青い空と冬枯れを感じた日

気まぐれな天気である。 急に師走らしい寒さの大阪となった。 空気は冷え乾燥し、空は青く澄んで高くなるこんな季節が嫌いじゃない。 子どもの頃生活した愛知県東三河地方は太平洋岸気候でこれからの時期は毎日晴れる。風は案外強いかも知れない。そんな北風をしのげる建物の影を探すとそこはずっと私が来るのを待っていたような私が来るのを知っていたような優しい陽だまりがあった。 そんな陽だまりはどこにでもあった。社宅の屋上に一人本を持ってよく上がった。誰も来ない屋上の陽だまりで岩波少年文庫や母

普通の朝を迎えることの出来る日

ひと雨毎に寒さは増し、師走は晦日に近づいていく。 あと、10日でクリスマス、その先には大晦日、年が明ければ正月へと続いている。 子どもの頃から変わることのないこんな時期、無条件に私はいつも浮かれていた。 今思うに何が楽しく浮かれていたのであろう。 遠い故郷に待ちわびる老いた両親の顔を見たかったのであろうか。 心の底に焼き付いた見慣れた野山の姿を見たかったのであろうか。 変わらぬと信じこむ友と酒を酌み交わすことだったのであろうか。 しかし、両親はこの世を後にして、野山は私に断

古いボールペンを見つけた日

古いボールペンが出てきた。もう7年も前に他界した父の遺品である。ちいさな段ボール箱一つ手つかずで置いていた。なんだか手を付けることが出来ずにずっとほかっておいたのだ。今回なんとはなしに開けて見つけたのが写真の一番上のボールペンである。父が現役の頃使っていたものであろうから、半世紀も前のボールペンかも知れない。パイロット製の黒赤をノックで使い分けるタイプである。こんなシンプルなデザインの筆記具を最近ではあまり見かけなくなった。もちろん乾き切ったのかインクは出てこない。使ってみよ

日記のような、びぼーろくのような(2022.12.07京都大原野の竹の煙は昔の匂い)

京都大原野の午前の空気は冬だった。 朝仕事を終え、いつものように大原野に向かう。駅前でレンタサイクルを借りて放置竹林整備NPO事務所に向かう。頬を刺すもう冬の冷たい空気は眠気覚ましにちょうど良い。でも手の冷たさ、自転車に乗っての冬の冷たさはまた別物である。子どもの頃の故郷愛知の山や海を走り回った事を思い出す。今年初めてここで手袋を手にした。 途中抜ける洛西ニュータウンの街路樹も寒さに向かうのに丸裸になりつつありなおさら寒さを募らせます。 現地に着くと年末に向けてずいぶんわ

朝メシを食いながら考えたこと

喪中のハガキが今年はいつもより少なかったように思う。 耳に入って来た訃報も少なかったように思う。 失敬な話ではあるがこんなことの当たり年外れ年があるようにさえ思える。 今年初めに若い頃に世話になった大切な先輩がお一人旅立たれた。 しかし、流行り病でその最後の病床にも今生の別れの席にも伺うことは出来なかった。 この三年間に私が知らないだけで案外多くの知人が他界しているのかも知れない。 母のその際にも同様であった。 二年前のお盆に入る直前、知る限りの知人関係者には連絡はしたもの

柿の背くらべ

今年久しぶりに口にした柿は甘かった。 そしてその色は赤く濃く変わっていく。 遠くから見ても色づく枯葉の中にあっても柿の赤は目に飛び込んで来る。 その色は種の保存をかけた柿の防衛本能なのであろうか。 鳥たちはその種を遠くに運んでくれる。 鳥たちに連れて行ってもらいたい真っ赤な柿たちは、私には私たち人間同様にも見える。 小さな世界、小さな社会のその中で周りより目立ちたく背伸びする。 私を見てくれ、と背伸びをする。 そんな世界をずいぶん見て来たように思う。 利己に凝り固まった頭は

五郎八という名の酒

早いものである、十二月。 何をせずとも季節は巡りゆき、何をせずとも自身の髪は白く成りゆく。 この歳に辿り着き、やっと周りが気にならなくなり、やっと自分の足で歩いているような気がしている。 日々を生きる。 食い、飲み、そして生きるために働く。 自分の力を知り、その中で働き生きる。 この営みをいつまで続けることが出来るのかは定かではない。 生きるを考える。 考え続け生きてはきたが、この答えはまだ出そうにもない。 家族を支えここまで走り続けてきた原動力は何であったのであろ

日記のような、びぼーろくのような(2022.11.30京都大原野さよならの秋)

昨日午前、仕事を終わらせて京都大原野の放置竹林整備のNPO事務所まで行きました。 町内会である西山善峯寺西国第20番札所の境内にある手水場の竹で作った出水口の取換えです。 冷たい山水がこの石槽の底から噴出しているのですが、ニューコロナに対応して、誰もが触れる柄杓を使うことなく竹で作った出水口から出る水で直接手を洗えるようにしています。 枯れかけた秋は紅葉の鮮明を奪われつつありましたが、京都大原野の足元から忍び寄る冬の先兵は樹々に最後の猶予を与え、最後の最後まで燃え尽きさせ