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五郎八という名の酒

早いものである、十二月。

何をせずとも季節は巡りゆき、何をせずとも自身の髪は白く成りゆく。
この歳に辿り着き、やっと周りが気にならなくなり、やっと自分の足で歩いているような気がしている。

日々を生きる。

食い、飲み、そして生きるために働く。
自分の力を知り、その中で働き生きる。
この営みをいつまで続けることが出来るのかは定かではない。

生きるを考える。

考え続け生きてはきたが、この答えはまだ出そうにもない。
家族を支えここまで走り続けてきた原動力は何であったのであろうか。
それも不明なままである。


五郎八(ごろはち)、先日新潟の友人が土産に持参してくれた日本酒を飲む。
度数21度の酒税法での上限の日本酒である。
振り返れば強い酒を好んで飲んできた。
バーボン、ジン、ウォッカ、そして焼酎。
どれもロックで飲むのが好きであった。
なんの加工も香り付けもしない生(き)の味と匂いが好きだった。

若い頃には少なからぬ男が無茶な飲み方をする。
自身の適量・限界を知るうえで必要な事だと私は思う。
しかし、若い一時期だけの事だと思う。
これをいつまでも続けるのはバカとしか言いようがない。

この酒を飲むという行為もなぜ繰り返すのか分からない。
今はビールか缶チューハイで十分であるが時々飲みたくなることがある。
酒、古来廃れることもなく男も女も口にして来た物であり、どんなに山奥の集落に行っても酒屋はある。
だから必要な物なのであろう。

五郎八を飲み考える。
酒の必要を考える。
その日一日をねぎらい、安らかな休息に移っていくのに必要なのであろう。
身体を温め、心を温めて安心のなかゆっくり眠ることが出来るように。
そしてまた明日を働き生き抜けることが出来るように。
まずは、生きることである。

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