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ふたたび最近思うこと

この頃昼時に用足しに出かけることが多い。寒いこの時期、腹が減ったら温かいものが恋しくなる。
北風の吹くなか自転車で近鉄八尾駅近くまで行った。用事を済ませて近鉄高架下の椅子のある立ち食いうどん屋に入った。
カレーうどんと白ご飯を頼もうと券売機をジッと見るが、少し前まであった白ご飯の押しボタンが空欄になっている。軽い衝撃を受けてカレーうどんのチケットをカウンターで出しておばちゃんに尋ねると「なくなった」と一言。どうも効率を考えて作り置きできるおにぎりだけにしてしまったようであった。
仕方なくおにぎりを追加注文したが、私には信じられない事件であった。

それは私の知らぬ間に隊列を組む軍靴の音が遠くの闇から聞こえてくるのと同じほどの事件だった。自身の命と引き換えに世直しをして来た美談はいくらでもある。他人の命を取って世を動かす話も少なくはないのかも知れない。しかし、これは知性も心も感じることの無い野蛮な行為、蛮行である。ただ、これが知性も心も無い相手であるならば蛮行は善行に変わるのであろうか。

こんなところのルールが分からない。人が人を殺しちゃならないことはルール以前の当たり前の話、カレーうどんに白ご飯がセットなのと同じである。
ならばどうして戦争があるのか分からない。人を殺しちゃいけないのにどうして戦争があるのかが分からない。自国の我欲のためだけにどうして殺戮行為が出来るのかが分からない。その戦争にルールがあるのが私にはもっと分からない。

この年齢になっても私にはまだ世の中分からない事ばかりなのである。八尾のうどん屋のおばちゃん達はいつも忙しく、気の弱い私にはどうして白ご飯を無くしたのかはっきりした理由を聞きたかったが、なんとなく怖くて聞けなかった。八尾には怖いおばちゃんが多い。分からぬことはまだこの先積み重なるのかも知れない。

でも、はっきりわかることはある。この先どんな時代が来ようとも私は私の息子や合気道を教える子ども達に、いや全ての子ども達に人を殺さなければ生きて帰ってこれないような場所には行かせはしない事だ。大事な人を守らねばならぬ事だ。そのためにはまず知性と心を使わなければならないと思っている。口はその次。そしてその後に蛮行ならぬ善行かもしれない。
いやしかし、それはしちゃあいけない。負の連鎖が続いていくだけである。

とりあえず何があってもいいようにいつまでも現役でいよう、心身ともに鍛え続けようと最近思った。


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