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クリスマスは関係なく

クリスマス、息子はまだサンタクロースの存在を信じていた(であろう)頃に私はいつも家にはいなかった。仕事を理由にまっすぐ家に帰ることは無かった。時はバブル、仕事は両手からこぼれ落ちるほどあり、会社はまだ残業時間を申請できる私たちの残業代をニコニコして払ってくれた。それで仕事が回るならば安いものだと会社は考えたのであろう。働き方改革などまだ空気中のチリにもなっていなかった頃だった。

じゃあ、この頃私はイケイケの企業戦士だったかというとそうじゃない。生き残ることにただただ必死であった。定石の無い、ましてやテキストなど無いゼネコンの営業の世界、気の狂ったような上司に振り回されながらすべては暗中模索の世界だったのである。「酒でも飲まなきゃやっていけない」まさにそんな気持ちで仕事に向かっていたのであった。仕事に無理やり区切りをつけて「終電まで行くか」と後輩たちに声をかけ京橋の街に繰り出した。そんなヤケに近い酒が終電に乗ることを許してくれるはずがなかった。毎晩タクシーで家まで帰り、毎朝二日酔いでフラフラして会社に向かった。

その頃を思い出すと、本当に余裕が無かった。仕事以外のことは考えることが出来なかった。だから暗い家に一人帰り着き、息子の寝顔を見てクリスマスの夜であった事を思い出すことは罪悪感以外の何ものでもなかった。でも、言い訳では無いが誰でもそんな時間を経験しなければ新たなステージに立つことは出来ないのではないだろうか。本当を気付くことは出来ないのではないだろうか。

その次にやって来たのは両親、兄貴の介護、看病だった。これもわりと定石は無く、全てを放り出して死んでしまった方が楽じゃないかと思うこともあった。この時はどれだけ酒を飲んでも酔うことが無かった。酔う感覚を忘れていたのかも知れない。でもそこで光明を見つける事が出来たのは、何のことは無い自分自身の持つ力だったのであった。

あきらめなければ何とかなる。やがて自分の固まった理想や希望が如何に現実離れしているか気づくことが出来る。そして自身の耐力は高まっていくのである。より身近な掴めそうな現実を見ることが出来るようになり、現実に近づけるための力は強くなってくるのである。

あとは割り切る力である。「ま、これくらいでいいだろう」と、いい意味のテキトーが出来るようになる力である。これには経験が必要だと思う。何の経験であるか、、何でもいいと思う。一度死ぬほど悩んでみることである。

そんなこんなで生きることが楽になった時にはいろんな余計な事まで考えることが出来るようになっていた。今ならば息子と清い心で聖夜を過ごせそうだが「親父、気は確かか」と、言われるのがオチである。そう、もうタイミングではないのである。そんなことが人生なんだと気付くのである。ベストタイミングでベストを尽くすことの出来ない現実である。

クリスマスに関係なく私は人生を過ごして来てしまったが今ならばベストを尽くしてクリスマスを過ごすことが出来る。
でも、もうすべては遅い、全ては過ぎ去ったことと分かっている。
でもそれでいい。
そう思えるようになった今を喜びたい。
歳を重ねるとはそういうことなのかな、と最近思うのである。

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