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結局どうでもいい

現在、ロシアのウクライナ侵攻(ここでは侵攻としておく)が始まるが、相変わらずのんびりと過ごすことになる。
ニュースでは現地の情報が供給され、SNSでは言論が飛び交う。
ある人は今後の稼ぎを気にし、ある人はウクライナ同様領地を取られている日本は危ないと口にする。

70年から今に至るまで、我々は進歩していない気がする。内容は変わっているが根本が変わってない。

分断が始まったのもその頃で、男尊女卑が白熱したのもその頃である。
オイルショックでは買い占めが走り、政治不安で「魔術」が流行り行かれる学生が現れる。

今我々が批判するのは、過去年寄りを批判した人々である。
我々の知識は魔術的だ。なんだかわからないが知識を持っていて、文化に乗っ取り、常識を学ぶ。特に目的はないけれど、なぜか知っている。

男性は女性を理解できないし、女性は男性を理解できない。
年寄りは若者の気持ちがわからないし、若者は年寄りの気持ちがわからない。

最近思っていることは、日本のやってない奴には言われたくない。努力して稼ぐことが大事だと言う文化が強いからではないかということである。
日本は継承する文化を持っていると思っている。狂言、能、浄瑠璃などは先人たちの流れの通りに動くことがいいとされる。この日本伝統と西洋のオペラの対応はよくある評論である。日本人は親を敬い子を育むと言うのが良いとされるものだと考えている。

結局どうでもいいのだろう。
私が何か言うこともそもそも意見が違う人にはどうでもいいことである。なんで理解しないのか。どうでもいいのである。価値はないとも言えるが。

どうでもいいので、気にしない。ついでにどうでもいいから、無碍に扱う。
どっちがいいとかはないが、どうにもならないのはそこなのだろうと思った。
結局どうでもいいのだから、どうでもいいことなので無視すればいいと毎度思う。
みんな毎日ゲームしてアニメ見て尊いとかタヒぬとか呟いているのがいいのかなとか思う。専門家ではない人が騒ぐのをやめ、それを意識せず生きればいいと思う。

新しい文化や技術が生まれると批判的な意見が出るが、オピニオンリーダーらが動いてどんどん世界全体に広まって結局気にしない、自然へと変わるわけなのだから。
結局どうでもよくなるのであろう。

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