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大巨獣エビオナンテのいる街

 東州連合の奉戴するタイラント、エビオナンテが通算300体目の巨獣襲来を退けた。決まり手はギロチン・ハサミ・カーニバルだった。

「うちの国のタイラントってチョー強いんだねえ」
 テーブルに頬杖を突きながらビデオスクリーンを眺めていた僕のパートナー、薫子さんがそう呟く。彼女は朝食の片付けを終えて、寛いでいたところだった。画面には件のエビオナンテがマンモス型巨獣を縦横奥行き4*4*4で64分割にしたシーンが映っていた。

「うん。在位期間がもう30年にもなるからね。共鳴之御子様《ヒビキノミコサマ》が第三八代目になってから、特に技のキレが……」
「御子様好きだよねえ、みーくん。若いもんね、カノジョ。ちょっとフクザツ」
「い、いや……! 僕はタイラントが好きなだけであって、御子様については……」
「今年成人だから記念のアクキー出るらしいよ」
「うっそ予約しなきゃ」
「三行半書かなきゃ……」
「ごめんて」
 机に突っ伏してブータレはじめた奥さんに僕は必死で謝る。その姿は隣国華光共和国の奉戴するタイラント、アリェニンガの防御形態にちょっと似てる。言ったらぶん殴られそう。

「そうだ、今日は夕飯は外食にしようか。ね? 肉食べよう肉」
「肉……ワインも……」
「ワイン。ワインをご所望ですかマイワイフ。じゃあシェ・タクミ行こシェ・タクミ。拓海君しばらく会ってないし」
 もちろん会計は僕のお小遣いを焼尽してね!

「ヨシヨシ。じゃあわかった。私のストアの仕事は夕方には終わるけど……」
「折角なら一緒に行こうか。家で待ってて」
 僕はそう言いながら国民服と帽子をかぶり、準備してあった通勤カバンを背負う。襲来を退けたとはいえ、あの程度で祝日になるわけもない。スクリーンを消し、玄関まで見送りに出てきてくれた彼女の頬に僕はキスをした。

 共同住宅塊を出た途端、生臭い香りが鼻腔をくすぐった。襟を立てて上衣の中に顔をうずめるようにしてそれから逃れながら、足早にトロリーに乗り込み、幾分臭いのマシな車内で人心地つく。都市は山と積まれたサイコロ状の遺骸の周りをゆったりと巡り、僕の乗ったトロリーは擬似的に同期回転し、暫く車窓にはピンク色の山が映し出されていた。

「強いなあまったく我らのエビオナンテは強いなあ」
「ハサミがすごいよハサミが。エビだけど突然生えたハサミでタイラントに成り上がった」
「ところで今どこに行ったんだ?」
「追いかけてる途中さあ」
 それを眺めながら年嵩のおじさんらが口々にそう言い合う。
 揃いの作業労働国民服を着ているから、同じ職場なのだろうか。マスク焼けで口周りだけが白いので、今からあの巨獣骸を片付ける作業なのかもしれない。エリートだ。

「”アレ”に領土の95%を明け渡してドーム都市に強制居住。しかもお邪魔にならないようにバイオクローラー仕掛けで常に移動させられるときた。せめて外からくるお仲間くらいは倒してもらわないと割に合いませんよねえ」
「は?」
 そうしておじさんらの声を右耳で聞いていると、左耳にそんなことを突っ込まれる。

「なんだァ学生さん。エビオナンテ様に文句があるのかい」
「エビ、じゃなくて、タイラントに。ね。そう思いません?」
「僕に言われても」
 何故か水を向けられたので振り向いてみると、そこには学生服を着たバーコードハゲの学生……学生? がいた。服装から言えば学生には間違いないはずだが、この路線沿いに学校はない。

「これだから、ド低能労働者はァ! あんな獣に、人間が何故隷属しないといけないんだ。なにが君主《タイラント》だ馬鹿らしい!」
「あー……兄ちゃん……まて、兄ちゃんでいいのか? まあ、学生さんでいいや。ここはタイラントが好きで気の荒いのもいるから、やめないかいそんなこと」
 おじさんらの一人が、怒気を抑えた調子で学生さんに呼びかける。

「我々はァ! 抵抗しなければならないィ! タイラント奉戴体制に固執する都市政府陣や定期的に代替わりするもその容姿が一切変わらないヒビキノミコどもを糾弾し……グキュプッ!」

 学生服の男はエキサイトし始め、おじさんらもそれに拳で応え始めたが、その後は分からなかった。おじさんらに押しのけられ、職場の一つ前の停留所で降りることになってしまったからだ。

 しょうがないので僕は職場まで歩くことにした。次のトロリーを待ってもいいが、どうせ時間はそう変わらない。鼻も慣れてきて、臭いも気にならなくなってきた。
「タイラントは食べられるのだろうか」
 夜のコースを思い浮かべながら、ふとそんなことを考えた。遥か向こうにある巨獣は、おそらくバイオ溶解処理され都市施設に生まれ変わるだろう。そもそも、臭いの示す通り既に腐敗が開始しており口にすればおそらくタダでは済まないだろう。
 しかし、身体の要所を構成するM物質や補助ESP力場出力を除けば、巨獣も基本はタンパク質で構成されている。食べられないはずはないはずだ。アク抜きなど下処理や、あるいは発酵分解などを施せば。
 仮に昨日のマンモス(仮)で考えてみよう。当然、普段食べる培養タンパク質素材と違って、あれだけの大重量を支えるために筋肉は極限まで発達しているだろう。ESPは掛け算であるから、大元の物理的強度は間違いなく高い。だとすれば、高分子素材レベルに硬化している筋肉を柔らかくする方向で間違いないはずだ。
 すると、高解像度肉ではなくかえって単純合成タンパク質塊の調理方法が参考になるかもしれない。いや、あくまで高密度素材だから全く違うアプローチが必要なのだろうか。そのどちらが正解かは一生解けない謎だろうけども。

 そうして考えているうちに、僕は職場の第七プラントに辿り着いていた。

「おはようございまーす」
「うーい……みっくんか」
「みっくです。いや来宮未来ですけど」
 前シフトの先輩のコージさんが魂の抜けた返事を呉れる。これが通常営業なので特別疲弊しているわけではない。最初、もうすぐ死ぬのかな? と不安になったのもいい思い出だ。

「ああ、59番ポッドが詰まり気味だから見てきてくれると助かる。虫はいないはずだけど」
「念の為ショックロッドは持っていきます」
「それでいい」
 コージさんを見送り、早速工具箱と安全帽とショックロッドを取り出してプラントの中に入る。あとタイムカードを切る。59番はプラントの中でも端にあるのでポッドの隙間の狭い道を行くのが面倒くさい。僕は大して大柄な方でもないのにこれだから、見回りを嫌がる同僚が多いのも分からないことではない。

「おお!? みっくか。びびった。」
 と言っていたら、大柄な同僚代表のゲンさんが向こうから現れた。同い年の同僚なのにさん付けなのは老け顔で同期全員から先輩扱いされたからだ。まあどうでもいい。最大限身を縮こまらせて左右両方のポッドに肩をなすりつける様な有様のゲンさんが近づくとその手には脚を折り畳んでファイナル––ほぼ死––した虫がぶら下げられていた。

「げ、やっぱ虫いたんだ」
「ああ。コージさんのいつものクセに助けられた。襲われたって死にゃしないけど逃がすとまずいしな」
「あれ、コージさんに言われて来たんだけど僕」
「みっく俺の次のシフトだったのか。待ってればよかったな。あいや違う。俺がみっくの前にねじ込まれたんだ」
 作業員が一人都合で足りないからこのところ変なシフトで回ってる弊害だ。ミィ。ミィ。と虫の死に際の鳴き声が薄暗い中響く。

「いやでも結局丁度よかったよ。57番ポッドの詰まりが解放できてないから直してきて」
「あれ? 59番と違うの」
「59? 見てない。え、っえー、一応二人で行く?」
「まあ大丈夫でしょ」
 僕はショックロッドを持ち上げながらゲンさんとすれ違い。設備灯を頼りにプラントの奥まで進んだ。

 結論から言えば、57番、59番、ともに虫に齧られて損傷していたが、応急修理で機能は回復した。何か事件事故問題が起こらない様に日々気をつけてるわけだから、アクシデントはこのくらいで納まるのが当然だよね。
 あとは通常通り、ポッドから圧搾されて出てきたエネルギー油のドラム詰なんかをこなして今日の労働は終わった。

 朝の道を、逆回りに辿って家まで帰る。街にはまだ生臭い香りが充満していたけど、これから目にする奥さんのおしゃれ姿を思えば、気にならなかった。

 僕は、ドアを開ける。

おわり

資料費(書籍購入、映像鑑賞、旅費)に使います。