「ひとよ」
「母ちゃんさ、母ちゃん今日、父ちゃん殺したよ」
「車で撥ねてきた」
一見なんの変哲もない働く母と3人の「顔に傷を負った」子供たち。
「母ちゃんは父ちゃんだからやった。父ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんが死ぬのを待った。父ちゃんが死んでも、悲しむ人がいなくなるまで待った。」
この母の覚悟が、物語を加速させる。
「ひとよ」
2019年に白石和彌監督のもと映画化もされている本作だが映画は見ていない。今回は小説を読んだ感想を記したい。
はっきり言う。
読みにくい!!
情景を大事にしすぎているのか誰が喋っているのかピンとこない。もとが舞台の脚本だから?
ただ反対に、入り込んでしまえば自らもその場に存在する錯覚にさえ陥る。
舞台だからこその濃いキャラ設定が良いスパイスになっているに違いない。
約束の15年後。
父を殺した母が、帰ってきた。
私たちは家族に戻れるのか。
3人を取り囲む人々の豊かな個性。
こんなご時世だから、誰もがそれぞれに理解されないような感情や思いを抱き暮らしている。
「ひとよ」はまさにその誇張版。
あの15年前の感情を様々な人間を通し答え合わせを行なっていく。
「クソ親父はもういない、母ちゃんが、そばにいる。
やったーじゃ、だめなのか?
生きてた、よかった。
それじゃだめか。」
本書を読んで再確認したことがある。
結局人間、都合の良い生き物。
様々な経験をして、様々な感情が生まれる。
言うことだってやることだって、時が経てば180度変わったりする。
人間、その行いが正解か不正解かというのは、その場の一感情でしかないということ。
「好きで結婚したんだからさ」
離婚騒動の長男にそう伝える母。
15年前に夫を殺した母がそう伝える。
自らでは殺せなかった義母が亡くなった。「案外死んだおばあちゃんが来させてくれたのかもしれない。」
そんなわけない。そんなわけあるか。
人間都合のいい生き物。
度胸ではなく、覚悟だ決意だ。
そんな肯定しておきながら、
父を殺しても、元に戻らない息子の指を目の当たりにし崩れ落ちる母。
「人よ」
「一夜」
どちらかはわからない。
これも人よと言われれば、どんな人間も否定できなくなるし、一夜で人生なんて大きく変わってしまうことも本書で再確認した。
人ってなんのために生きてるんだろ?
大晦日に相応しくない記事?
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