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私の心を占めるもの

実家に昨年から住み始めて、初めての正月。毎年の通り義実家で年を越した。
そして今、家(実家)への帰路に着いている。
親から親への渡り鳥。
いつまでも、親を喜ばせようという気持ちが染み付いて離れない。
私自身が今、何をしたいのか、帰ったらあれをしようこれをしよう、そんな風に考えられない。
親の顔色を窺って。

子供のいない私は、何はなくとも構わなければならない相手がいないから、親の機嫌ばかり気にしている。
何をしたら否定されないか、何をしたら喜ぶか、常に気にしている。
親に喜んで欲しいと思う気持ちは、素直なように見えて、実は健全ではないと思う。媚びている。どこか捻曲がっている。自分を大切にすることと離れている。

なぜ親を喜ばせようとしてしまうのか。
親から認められること、それは子供にとっての生存戦略。親に見放されたら生きていけない。だから、なんとか親に好かれようとする。
それって、元から備わったものなのか。何かの経験から学んだことなのか。

もう私は十分に大人で、とうに親に養われなくても生きていける。
けれど子供の頃に染み付いたその気質というか性向というか、その呪縛から脱け出せない。
離れて暮らしている時は良かった。たまに気遣ってやればいいだけだったから。

私は親に気遣われていない。
いや、親は子供を実は気遣っていないのではないか。少なくとも、そういう親がいるのではないか。

親のための子供。
子供心を逆手に取って、子供の自由意思を黙殺し、自分にとって都合のよい行動をとるように仕向ける。あるいは無意識に。
そんな精神的に虐げられた子供なのではないか。私は。