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22歳、終活ノートを書く

「就活ノート」ではなく、「終活ノート」。

親の机にいつの間にか増えた薬袋、
隣のデスクから聞こえる介護の話、
昨日テレビで観た方の訃報、
大口を開けて笑う祖父の声が小さくなっていたこと。

終わりについて考えること、
いつか自分はいなくなると思いながら生きることは暗いことではないと最近思うようになった。


昨日も、「いつか死ぬもんねえ」とか言いながら美味しくたらふく酒を飲んだ。


その友人は自分の葬式代を貯めているとか言っていた。早すぎる。

葬儀代貯蓄友人に、「終活ノート」を勧めておいた。これ本当に20代の会話?

毎年このノートを書いたら、
その一年の自分にとって大事なものが凝縮された一冊が出来上がって、それが積み重なったらそのまま人生の本棚できるじゃん、いいじゃん!と思ったのが、書こうと思ったきっかけ。

なんだかデジタル遺書は味気ないなあと思いノートを探すと、なんと100円で発見。

「もしもノート」っていい名前。


いざ書いてみると、
誰の住所も電話番号も意外と知らないこと、
私が今「知らせてほしい人」欄に書いているあの子は同じことを思ってくれるだろうか、とか、「知らせてほしい人」は「結婚式に呼びたい人」とおんなじだなあ、とか、いろんな気づきがある。結婚するかは置いといて。

プロフ帳みたいなページもあって平成ノスタルジー(?)を感じつつ楽しく埋めていく。

1年かけて書けばいい(って私が勝手に決めてる)日記みたいな義務感も無く、思いついた時にここに書き留めておけばいいからとっても気が楽だし性に合う。

言葉も写真も音も人も、いつ、「残す」が「遺す」になるかわからないなあ
(↑映画「余命10年」鑑賞後のきもち)

まあでも、「もしも」をなるべく遠ざけるためによく食べてよく寝て育とうかな。

野菜も食べたよ

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