#12 最近知った“香り”

街はいつのまにか秋を通り過ぎて冬が顔出しているようなそんな肌寒い夜風が心地いい。ちょっと嘘ついた。インナーにエアリズムを着ているせいでとても寒い。“秋まではインナーはエアリズム”という僕の中の固定概念が仇となってしまった。普通に羽織るのが欲しい。ただもう少しで家に着くのでそれまでの辛抱。明日からはちゃんと半袖のヒートテックを着なければ。

歩いているとフワッと香る微かな金木犀の香り。甘くて柔らかいこの素敵な香り。お恥ずかしながらになりますが最近になってこの香りを認識できるようになりました。よく秋になると沢山呟かれる『金木犀の香りした!秋感じた!』的な投稿も何のこっちゃ分からず、お洒落な人達にしか嗅ぐことが出来ない匂いなのかと思っていました。

なので、きのこ帝国の「金木犀の夜」。好きな曲なんですけど、今まで“金木犀の香り”にピンときていないまま聞いてました。すみません。

“だいたい夜はちょっと 感傷的になって
  金木犀の香りを辿る”

そーーよね!。っと知ったかぶっていました。今だとちゃんと首を縦に振って同意できる。肌寒い風が運ぶフワッと柔らかい甘い香りは心の傷を軽くして寄り添ってくれるようなそんな気がする。

なんで今まで金木犀の香りに気が付かなかったと言いますと、沖縄にはあまり自然の金木犀は生息していないらしい(ネット情報)。花屋では偶に売っているみたいだけど、あまり花屋には行くタイプの人間ではないので金木犀自体見た事なかった。

なので東京に出てきても、あちらこちらに生えている金木犀も“金木犀”と認識していないでスルーしていたので、そりゃー“金木犀の香り”を認識出来るはずもなくここ数年生きていました。

とてもとてもお恥ずかしい。最近になって、“金木犀”という香りを知りたい!という欲が生まれ、ネット検索して金木犀の花の姿を見て、「これ近くに生えてない?」となり、その金木犀らしき花木に近づき、スーッと嗅いでみて「素敵な香りぃぃぃー」ってなりまして。ようやく金木犀の香りを認識したのです。

昨今、街中ではスマホに目を落とすことが多くなる。待ち合わせ中や電車の中、歩く時でさえも。街中へ意識を拡げることがとても困難になったといいますか。なるべく街中では外を見るように意識していても気が付いたらスマホに目を落としてしまう。それがもう“日常”というか脳の当たり前になっているんだろうなと思うと少しゾッとする。

だから意識はなるべく外へ外へと拡げたい。
金木犀の香りを認識し始めて3週間くらい。
カップルだと1番イチャイチャして楽しい時期。なので枯れる前に沢山金木犀を香りたいので、街中の金木犀を逃さぬようじーっくりと街中の忙しい景色を眺める。

そしたら目の前をマトリックスのような格好をした人が通り過ぎたり、全身真っ赤の服を着た女の子が居たり。めちゃくちゃ怒りながら電話してるサラリーマン。何か落ちているなーと思ったら長ネギが落ちてた。ネギの形的に下仁田ネギくらい立派なネギ。多分これをメインに料理を献立したはずなのに。今頃どこかのお母さんが夜ご飯に困って泣いちゃいそうになっているのかも。

見渡すと街中にはこんなにも面白いが溢れている。画面の中だけに面白さが閉じ込められているわけではなくて、ちゃんと目の前の景色にもちゃんと面白さは存在していることに少しホッとする。

そういえば最近、趣味が出来ました。
それは顔に見えるモノを写真に撮る事。よく道路の排水溝の細長い穴が目に見えて顔に見えるような時があるかと。それが何とも愛おしくて堪らないので写真に収めている。愛おしい彼らと沢山出会いたい。血眼になって彼らを探す。丁度「はて?」ととぼけた顔に見える排水溝を見つけて携帯で写真を撮る。可愛らしくて少し微笑む。

笑えてる。きっとこの先に笑える日々が続く。はず。“はず”でもいい、ぼんやりな希望を持たなければ我々は生きられないのだ。

夜は少し感傷的になる。
その時フワッと金木犀の香りがした。はず。
周りには金木犀は無い。意識したからなのか、はたまた風が気を効かせたのかは分からない。

イヤホンを耳にセットして、ポッケから携帯を取り出して、Spotifyを開く。
「金木犀の夜」を再生。目の前にはコンビニ。
350mlの缶ビール買ってみる。曲は違うが自分が良い気分になるなら関係ない。

缶ビールを飲みながら、夜に凍えて少し遠回りをして家に帰る。心が少し暖かくなった、そんな気がした秋の夜。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?