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日米のお上論: 日本の「有官」、米国の「無官」


米国の報道番組ドキュメントで、婆さんが、「ワシントンに、あれやこれや言われたくない。ここはカリフォルニアだ」と怒鳴っていた場面があった。ここで言うワシントンとは米国連邦政府の事である。連邦政府がカリフォルニア州に、あれやこれや指図するなと言いたいのだ。これは日本人には無い感覚である。

これを日本に例えると、鹿児島県人なら「東京ん霞が関が、我々にあれやこれやちゆな。ここはかごんま(鹿児島)じゃ。」
或は、沖縄県人なら「東京ぬ霞が関ぬ、わったーんかい、ありてぃがろーくりや言るな。くまー、うちなーやいびーん。」恋する方言変換

となる。しかし、実際にはこんな事を言う人はおらず、北は北海道から南は沖縄まで、現代の日本人は一つの国に暮らしていて、全てが日本政府の執政の下に行われている、と言う実感を共有している。

過去を見ても、日本には千年以上前から天皇を中心とした王朝制度が有り、公家社会、後の武家社会を含めて、高度な民の統治体制が敷かれていた。これにより民は「お上」と言う統治者の存在を共有していた。

特に徳川家康の天下統一は、江戸時代の幕藩体制を完成させる事によって、日本全国が幕府の下にあると言う意識を定着させた。中でも藩主の参勤交代は、家康は裏切り防止と藩の力を削ぐ事を目的としたが、副作用として東西南北全国の藩士達の交流の場を江戸に提供した。

参勤交代が無ければ、九州や四国の藩士達と北陸や東北の藩士達の交流は、ずっと少なかったはずだ。更に、参勤交代の行列が宿場で落とす金は、地方活性化に繋がって、幕府の下にあると言う意識を全国に強めた。

この様な下地が在ったからこそ、大政奉還後に明治政府が発足すると同時に、日本という国の政府、つまり統治者としての「お上」が単なる名目ではなく、一般国民の共有意識に「日本」と共に難なく定着したのである。

一方、米国は日本とは全く異なる道を歩んだ。

米国を発見したのはコロンブスと習った人も多いと思うが、彼がたどり着いたのはカリブ海の島で、その後、別人が、ニューファンドランド島に上陸して米国発見と成っている。従って誰が発見したかは微妙な解釈がある。

何れにしても発見から100年程経った1600年頃から、大量の移民が北米に押し寄せ始めた。入植者集団は母国の法律や習慣を持ちむ場合もあるが、基本的には個々の集団がやりたい様に生活様式を作った。新天地に希望と自由を求めてやって来たのだ。しかし、黒人奴隷は強制的に連れてこられた。

良好な土地から先住民を追い出して居座るのも、バイソンの毛皮を求めて移動し絶滅寸前に追い込むのも、金や翡翠ヒスイを求めて、一攫千金を夢見て西部北部に移住するのも、各地で銀行強盗や列車強盗するのも、宗教上の聖地を求めて移住するのも自由だった。しかし、奴隷や先住民に自由は無かった。

入植者達に共通の心情は自由だった。それを守るために自衛の銃を持った。ここには日本の「お上」の様な統治者はいない。集団の中の金銭または腕力等で、実力があるものが統治者になった。そのうち、イギリスが持った13の植民地が、本国からの独立(徴税拒否)を求めて戦争となった。13州は勝利し1776年に、ペンシルベニア州フィラデルフィアでアメリカ独立宣言を行い、ここに合衆国連邦政府が創設された。

しかし、これで連邦政府の威光が全米に届いた訳では無い。むしろ、連邦政府の威光(特に徴税)を嫌って、人々は荒野の西へ西へと移動した。割と近代になるが、世界中、特に日本に絶大な影響を及ぼすハリウッドは、ユダヤ人達が、徴税されたくないと言う理由で、移住して作った映画の都である。

何れにしも、「俺の好きにやる。文句ある奴はかかってこい」が開拓時代の米国人の共通の心情であった。

この傾向は現代でも受け継がれている。アップルのスティーブ・ジョブズ(若い頃)、現在進行形で元大統領トランプ、テスラのイーロン・マスク等、数え切れない程の継承者がいる。これら糞野郎な組織の長は、この心情を継承して、事業を起こして金を稼ぐ異様な才能を発揮している。

こう言った連中の米国での成功物語はとてつもなく大きい。彼らの業績は新聞王、鉄道王、不動産王等と、〜王と語られる事が多い。彼らはの多くは国造りの足跡を残している。美術館、博物館、研究所、大学やその他公共の多くの施設、観光名所にもなる大豪邸、また開拓時代は道路、橋、港なども造っている。現在でも米国を訪れて、この様な遺産とその功労者の足跡を知ることができる。

従って日米の国造りを比較すると、米国の基礎は私的組織である「民」が作り、一方、日本はお上である「官」が作ったと言える。

前回、米国と経済的結びつきを強めた途上国が、反米国家に成っていく過程を説明した。その理由は米国の生い立ちにあるとして、次回に述べるとしたが、まるで関係のない日米お上論を述べて来た。

しかし、実はこの米国のお上無し、民が造った国の生い立ちが関係している。自由を金科玉条として、傍若無人の起業家が、幼稚な執政をしている途上国に、金儲けに進出した場合、何が起こるかは想像に難くない。皮肉な事だが反米国家が誕生するのは、自然な成り行きである。

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